今週の始めに同僚が勉強会に行ったことを得意げに話していました
週末から、行くことを私たちにも話していましたが…わざわざ客である利用者にまで話すくらい。頭が悪い…普段あまり勉強したことないのかな?と思わざるを得なかった。
私は他の業界の事はあまり知りませんが…医療業界の勉強会というのは、座談会のようなもので講義形式のものが多いです。それを、1時間・2時間くらい話しを聞いたところで勉強したような気になるなんて普段から勉強しているような人間からすれば「はぁ?」と思います。
何故だろう?
以前からそう思っていたことでしたが、やっと自分なりの言葉で表現できるようになったのでここに記そうと考えます。
同僚の場合、勉強会に行った→講義を聞いてきたこと自体が勉強だと思っています。
しかし、私の思う勉強は違います。その勉強会のホストが著名人であれば書籍を書いてあるはずだしその人の考えを知るにはその書籍でも読めば、たった1時間や2時間+移動時間の講義に出るよりもそのホストの考えをより深く知る事ができると思います。つまり、同僚の思っている勉強は勉強会に行ってそこでホストが話す〝情報〟に触れたことを指しています。
しかし、先程も述べた通り書籍があればいいですが…今はネットにアクセスできるので多種多用のさまざまな人の考えや理論、思考などの情報が無限に溢れかえっています。例えるならば、本屋さんでこの本見つけたよって聞いてあなたは凄いって思えますか?という事です。そういう意味ではもはや、情報に触れるだけの勉強には価値はないのではないかと思います。
じゃあ、私の思う勉強というのは何か?
それは、その触れた〝情報〟を使って何をするかではないでしょうか。
同僚は勉強会に行ってきたこと自体を報告していますが、私ならばその内容を自分の中で消化し、実践の場面で使ってみるに違いありません。
私もそうですが、こんな経験はありませんか?
以前よりちょっとした話題の番組。
『チコちゃんに叱られる。』
この間観たのはおにぎりが三角の理由なんていうのがありましたが〜その理由は神が宿りやすい形だとか。これを知ったその瞬間には「へぇっ」と思いますが、一週間も経たずにどんな内容を観たかったすら全く覚えてないという話しを私以外にもそんな話しをよく聞きます。
それは、この情報がおにぎり屋をしていたり並々ならぬ信仰心があったら覚えているかもしれませんがまぁ一般の人ならまったく使わない情報ですから。読みもしない、使いもしない本のような〝情報〟の塊を〝在る〟って知ってもだからそれがどうしたの?と思うのは自然だと思います。