私の嫁はほぼ身内が居ません。親は離婚していて、娘を除くと唯一おじいちゃんのみが居たくらいです。

 私が嫁とお付き合いを始めたころには90代だったと思います滝汗「ありがとう、ありがとう」と手を合わせてお礼を言う仕草はまるで仏さまのようでした。

 認知症で私たちが働く職場の療養病棟で入院していましたが、失禁の度にオムツを外して布団やシーツを総替えさせる手間を取らせるくらいの問題じいちゃんでしたが…仏さまのような顔を見てると憎めないと職員からは嫌事を言われるようなことはありませんでした汗

私が知りあったころにはもうそんな感じのおじいちゃんでしたが昔は全然ちがったと言います。

 嫁の叔父は自殺しています。

仕事が辛くて、辛くて、親であるおじいちゃんに泣いてすがったそうです。その時、突き放したが最後還らぬ人となりました。そこから、ほかの親戚家族は誰もおじいちゃんの元に寄らなくなったと言います。

 その後寂しかったのか?おじいちゃんの若い?(と言ってもおばちゃんだろうけれど)女性を作って、その人に財産を全部持っていかれた状態で認知症を発症。嫁が面倒をみるという形に至ったと。

 私は、おじいちゃんの気持ちがわからなくもないのです。

「何を甘えた事を言ってるのか?頑張れ、頑張れ。」


もはや一般の人でも知っている、鬱病の人に「頑張れ」のフレーズは禁句だと。



 


 昨日の産経新聞のエッセイでも不登校の親の投稿したものが掲載されていた。一部内容を抜粋すると

不登校の学生は全体の3%にのぼる。
不登校になるような学生は誰より意思を持っていて繊細で感受性が強い子たちです。

生きていてくれてるだけでも幸せと感じなければいけません。

必ず山は動きます。人生に無駄な時間はありません。ちょっと周りと時間の使い方が違うだけです。

焦らない。焦らない

 

 もちろん、投稿者の方も私の考えですと断りを入れてはいますが…

 私とは考え方が違うなと思いました。

それと同時に同じ部分もありました。

子供とはいえ1人の人間。たとえ親でも彼の人生を変えることなんて出来ません。それは傲慢です。

 人を育てながら思うのは、思うようにはいかないということと自分と他人は違うということ。

 今、悩んでいることもビジネスにも生きることにも通ずる部分があると確信している。


 どんな辛い経験があったとしても、最後におじいちゃんのような顔をして逝きたいものである。