今朝のニュースで、こんなサービスをする会社が出来たという話がありました。

昔の恋人と付き合っていた人と一緒に撮った写真ですが、別れてしまったのでデジタル加工して元パートナーと消したい…と。そんなサービスの街でのニーズをレポートしていましたにやり

嫁と話していましたが、職場で自分の証明写真を撮ったものを「これは自分じゃない」という人がいたという話を聞きました。今のプリクラや携帯アプリでは、色々補正がすごくて原形をとどめていない場合の写真が、自分の真の姿の写真だと真剣に思い込んでいる人がいるのだから…

もはやその瞬間の記憶の媒体でもなく、捏造された記録でも、自尊心のようなものを満たすものなら何でもいいというのですぼけー

タイトルは、某経済新聞のコラムで気になって目を通した話です。もっと、経済新聞なんだから知的な見出し付けられなかったのかと思いましたが情報が消費される時代で、それなりに刺激的でなければ見向きもされないというわけです汗じゃあ、私はひっかかったのかびっくり



PDCAサイクルとは


よく実務で取り上げられるPDCAとは、計画(Plan)、実行(Do)、チェック(Check)、修正(Action)という順序でのこのサイクルを回していくことです。

が、このコラムの中で言いたいのはそもそも出発点のプランの段階で、計画立案者が必要な情報を持ち時間がかかってもそれに沿ったプランを立てなければならないというひらめき電球


ですが、ここでいう必要な情報って何だろう?と、思うのです。情報の発信も多様化し、あることないこと玉石混交。その上、心を守るための捏造や偽造まで蔓延るまさにカオスのなかから、真実の情報や因果関係を見つけられる人っているのだろうか?ということです。


だから、プランから始まるPDCAサイクルはもう効力を発揮しないと、たしかに一理あると思います。

ただ、どうすればいいのかというと、最終的にはその情報を得た人間が咀嚼し、どう解釈・吸収するかではないでしょうか?

私は今年の目標として、『行動の1つ1つに責任を持つ』そのために、情報収集の徹底もサブテーマに置いてます。情報の真贋の見定め方は経験としか言えない部分もたしかにあります。ですが、知識があれば容易に見分けられる場合もあるとも思います。勉強ができないことを私は悪いとは思いませんが、教養が無い人は論外だと思います。

そうなってくると、結局は行動にも、格差が出てくる…そんな時代が来ているようにさえ感じてしまいますうーん