乳幼児の病気である、ロタウイルスですが…私が今まで経験してきた病気の中でも五本指に入るくらいマジでしんどいです
もう、3日はロクにご飯を食べれません。なのに未だにお腹は張ってるし、何か口に入れるとものっ凄い胃の反応から嘔気に変わります
それでも多少は脱水が改善されたのか頭痛も無くなったので再開します

もう、何書いてたかなぁと思い出すのもあれなんですが…『金持ち父さん』ネタばっかだった気がします。どんだけ好きなんだよ!っとツッコまれそうだけど、これでひとまずは終わろうかなぁとします。
たぶん、『金持ち父さん、貧乏父さん』の話の中であった例え話の話です。正確に記憶出来ているかは定かではありませんが…こんな内容です。
ある村では、水が手に入りにくく大変貴重なものだったそうです。そこで、2人の村の男が村のためにと立ち上がります。1人の男はすぐさま行動し、遠くの川まで水を汲みに行ってはそれを運ぶことを始めます。それがいつしか生業となっていきました。もう1人の男は?というと、どこかへ行ってしまいます。大変な重労働だったので、この水汲みの男の1人勝ちでそれなりの財産を経て家庭も持ちました。そんなある時、もう1人の男が帰ってきました。男は、町へ行っていて川からのパイプラインを引くべく仲間となる人と資材を準備してきて戻って来たのだといいます。水汲み男の水は、移動中のホコリなどで汚れも多いというのでバケツにするフタをするという工夫をしました。子どもも仕事を手伝えるほどには成長してきたので、1.5倍ほどの水を汲むことが出来るようになりました。程なくしてパイプラインの水は川に近いものから順々に提供出来るように整備できてきました。すると水汲み男の水は今までの金額では売れなくなってきたので、水の値段を安くせざるを得なくなりました。パイプラインが村中に行き渡る頃にはまったく水汲み男の水は売れなくなってしまいます。パイプラインを企画した男は、同じように困っている村は無いのか?と今回建設したパイプラインを作るノウハウそのものが商品になり膨大な富を築いたというお話です。
この話の中でも、どこで時間を区切るかで成功者は変わります。未来はわからないので、結果論でしか無いのですが…どうなりたいかを問うしかありません。経験を重視するということは想像し得ないことを達成することは不可能とも言い換えれましょう。だから、言葉が大事だ、一貫性が大事だとも言えます。それに学習も大事だと私は思います。私が友人を尊敬している理由は、色々な大手飲食チェーンを勤めて来て、そう言った思考過程を自然と体現出来るからです。その間に、留まることなく経験を通して成長してらきたからと言えますが…彼はセンスと言いますが、努力や実績の塊と思います。雇われの身でありながらトップクラスの実績ということはめちゃくちゃ意識高い系でなければそうならんよ
だから、他者には真似出来ないし理解もできない。私だって、わかってるかというとそれを言える立場かどうかわかりませんが(笑)
同じような例え話がありました。
シロガネーゼ?(今でも言うのかな?)の間で、子どもを有名私立に通わすのが流行りになっていて、その父兄の中でちょっとお洒落な小物を持つのがステイタスになったそうです。元は、それを売っていたのは小さな小物屋さんでしたが、すぐに大資本が安価な類似品を出してきました。困った小物屋さんでしたが、もはやこの時商品はこの小洒落た小物ではなく、シロガネーゼのネットワークという販売ルートだったというそんな話を商工会議所の授業で聞いたのと同じです。
私が今やっていることを考える中で、いつもいつも思うことですが…
近視眼的になり過ぎていないか?ミクロになり過ぎていないか?
はじめの水汲みの話でいうと、計画もなく鍋を片手に水を汲みに言って得意げになってないか?蓋を被せたくらいで工夫した気になってないか?同じような事で困ってる村がないか?そんな事を考えています。
1つの商品に拘り続けるのもまた、1つのリスクです。例えばお好み焼き屋さん。10年、20年前と比べて魚介類の値段が上がり過ぎて、価格を上げるのも怖くてにっちもさっちもいかない個人店があると特集でやっている番組もありました。
たぶん、ビジネスを売るというと大げさですが売るものが変わるかもしれない。と、その想定あるなしではまた見える世界が変わるのかもしれません。
さて、経験は一番の学習です。私も今かかってる病気で常々思いますが…想定外の学習まではしないだろうし、その土俵に立つこともないかもしれない。(立つ気もないというかもしれないし、「私には無理だ」ともいうかもしれないが)まぁ、最終的には経営者になろうとするような人間は誰からなんと言われようが誰も責任取ってはくれないのだから最終判断を自分の責任として下すのだから誰も言いなりにはならないのにも関わらず、説教師の多いこと。私もそうかもしれないけれど
