「責任ある社会」
自分の人生と人生から得られる最終的な結果に対して、自分で責任を持つことが大事だと考える集団に属している人
「被害者社会」
会社や政府など、自分以外の誰かが自分の人生に責任を持ってくれてしかるべきだと考えている人
さて、昨日の続きになりますが…
この2つの社会を分ける要因の1つには危険とコントロールに関する本質的価値の違いがあるというのがロバート・キヨサキの気づきです。
被害者社会の人間は、危険を冒すことを避けるために、自分の人生に対するコントロールを他人に引き渡す傾向がある。そして、そのあと、コントロールしてくれと自分から頼んだ相手がその力を乱用していると感じて、腹を立てたりする。つまり、被害者にとっての加害者は多くの場合、本人なのだ。という。
さすが人に物を教えることを生業にしている方だと思います
綺麗にまとまっていすぎて私の農耕的、狩猟的なという表現よりどれだけわかりやすいことか。
これに私の実社会に当てはめて例を挙げてみるとわかりやすい。
うちの両親は会社員です。親父はトラックの運転手で、母は看護師です。母は、自分の父親がギャンブル狂で15歳で義務教育を終えるとすぐに寮生活をしながら学校通いし20歳そこらで結婚をしています
私は苦労をしてきたことをずっと聞かされてきたし、ギャンブル…例えば、パチンコや競馬はしたことありません。それ自体はありがたい教えだったと思います。しかし、そんな母の将来へのお金の扱いは?というと貯金という選択肢しかありません。
ちなみに年利でいくらか知ってますか?先日、定期の私のお金の通知ハガキが来ましたが…1%を切ってます。100万円預けて1万円にすらならないのです
逆算して年一千万円で生活するのであれば…100億くらい貯金してたら元金はなくならないか
だから、それをロバート・キヨサキは遅い遅いというのです。
貯金は遅い言葉。反対にお金を作り出すは早い言葉です。
お金を作り出すために何が必要か?というとこれも答えが書いています

勤労所得が50%マネー
ポートフォリオ所得が20%マネー
不労所得が0%マネーと
パーセンテージは、税金です。
じゃあ、定年を超えても働き続けられるか?と考えると勤労所得だといきなり収入が0になりあとは貯金を切り崩していくしかないのです。0%マネーのビジネスなども持っていない20%マネーなどの投資もしていないで持っている財産が目減りしていく人と、ずっと定年なくお金が増えていく人とがいたらそりゃあ格差もできるでしょ
私が1つ出した考えが、人はみな投資家なんだと思います。
未来に投資しているのはお金だけじゃなく時間も熱意のような形ないものも投資しています。しかし、それを認識していない人は目先のお金しか見えないから…未来への展望もありません。株式なんかに投資するのはリスク?子どもを目的もなく大学に進学させるのはお金をもったいないとも思わないのか?色々不思議に思えてきます。どちらが正しいのかと。
何に投資するかの理由も、その人が属する社会によって依るのかと思います。
それが前者は、より良くなること。後者はリスクを取らず安全であることではないかと思います。ただ、常に向上していくことと、常に目減りしていくことのどちらが精神衛生的に良いのか?という事を私は考えてしまいます。