よく2歳の娘が家の中で、おもちゃが見当たらないとこう言います。
「おにさんがおもちゃ持っていった〜
」と。
結構、真剣な表情と声色でいうので面白いです。
この〝おにさん〟って、理解不能や、理不尽であったり、畏怖の念であったり…生きてきた経験の乏しい2歳からしたらそんな事がいっぱいで、それを総じて〝おにさん〟と表現しているのでしょう

大人であっても同じです。
先日、実家に帰って今年開業するから〜。という話しをしました。
いつもの事ですが、なぜか母親と実家暮らしの弟が喧嘩のような会話になります
オカン「お前はわかってない。お前(弟)とは状況ちがうのだから、もっと慎重になるべきだ。」
弟「いや、じゃあいつ挑戦するのよ?手探りでもやっていくしかない部分もあるからそうするんじゃないの?」
議論は私を置き去りにヒートアップしていく
オカン「数100万円というお金をかけるということは嫁さんにとっては不安しかない。もっと勉強が必要だ。私は、商売とかしたことないけど…」
この言葉を聞いて、思い出したのが私の大学受験のことである。
うちの家庭では、私が長男で両親ともに大学受験などしたこともないので…わからないので学校様お願いします。みたいなものである。まさに歩んできた道ではないから〝鬼〟が出るか〝蛇〟が出るかわからんというのだ。
そして、こわいこわいと考えたり、情報を集めたりすることなく危険(リスキー)だ!と吹聴する。
そんなオカンだが、こんな話しもしている。
「腰痛看護師の同級生の父親が、定年になったけれど嘱託よなく60歳で働く意欲はあるけれど面接に落ちた」だの、「何年、同じ車乗ってるのだ?」だの。
私にはそちらの方がよほどリスキーに思える。なぜか事業をするというとゼロサムゲームだと思っているのである。株などの金融商品も同じくまさに現金しか信じられないという現実で生きているのです。その現金自体が信用という名の取引に価値が基づいているということすら知らずに…。事業に金は出せないのに消耗品には金出すのは抵抗ないんだなぁ、ほんと消費者的思考だなぁと。
別に私が、わからせてやろうなんてつもりも無ければ、これまで何十年と生きてきた現実は変わらないでしょう。だって、そういう風な生き方を選んで経験を積んできたのだから。
だけど、いい言葉もあった。
オカン「あんたが頑張って実績積むんなら、300万でも500万でも出したるよ。銀行融資してもらえるくらい保証されているならこっちとしても安心して出せるわ。」と。「あと、お父さん雇ったってな。」と。
私は、今まで言葉に出すのも憚れるくらいこのオカンの現実をずーっと叩き込まれてきた人間です。しかし、私が変わってきたので少しなりとも母も変わったと感じるのは気のせいか?今回はこれだけでも満足のいく結果だと思いました
横にいた嫁は笑ってたけど。
リスクとの向き合い方も然り、知らないことをどうすればできるか?なんて考えていくことが私はポジティブな生き方だと思うりわからないものをわからないままにすることこそが恐怖を増幅させている。そんな話でした。