旅行に行った宿での話ですひらめき電球

宿の大浴場に行くと先客の親子がいました。
小学校3・4年生くらいの男の子と、父親の会話です。

父「もっと練習しないと。途中で代打でちょこっと試合に出るだけだったら面白く無いだろう?」

子「…。」

男の子は反応したかしてないかよくわからないくらいなのに父親はつづけます。

父「〇〇君だって続けているやろ?△△君とも今度の大きな大会で当たるかもしれない。中学に進んだら、兄のように2年生は部員が少ないから1年でも2年の試合と1年の試合に出れるかもしれない…」

子「うん。〇〇は続けているか知らない。」

これを第三者の私がはたで聞いていて、父親に言ってやりたかった。

楽しかったら練習も頑張ってやってるわ。まずは、本当に野球を好きか聞いてやれよと。

というのも私の経験の話です。私はこないだ観たアニメ『メジャー2』の女の子みたいに試合に出たくないからわざと練習でエラーしたりしてた人間ですからぼけー私の場合は、チームが強かったのでオトナ(監督)達の大き過ぎる期待が怖かったからです。プレイしている本人達より、ギャラリー達の方が必死っていう。ヘルメットの上からでもガンガンと頭をバットで小突かれるのは十分な恐怖だったのを覚えています。その上、小学校高学年に転校した私はチームメートと話が合うわけもなく親が父兄と集まる為のダシに使われているとさえ思ったものです。だから、中学になると同時にすぐさま野球を辞めたし、今でもプロ野球は見ませんアセアセ

 タイトルのマシュマロゲームというのは、我慢というか…未来への投資とも言える精神科学のテストです。まず、テストのために大人がこう説明します。『このテーブルにある好きなお菓子はなんだい?マシュマロが好きなんだね。私は今からちょっと用事があるから少し待っててくれる?我慢出来ずに食べてしまったら1つしかマシュマロをもらえない。でも、待っててくれたら2つあげるよ!我慢出来なくなりそうになったらベルを鳴らして』

ちなみにテストされた子ども達のベルを鳴らすまでにかかる時間は3分平均だそうだにやり

大人は合理的な判断をできるというが、果たして子どもの判断は非合理的であろうか?

だって、まだ会って間もない初対面の人間が信用に値するかしないかの判断ができる?経験した事もない事を想定出来る?

この大浴場で見かけた息子からしたら、人生の大先輩の父親であるが…絶対に正しいと言い切れるであろうか?

この子は野球の練習はちっともしない代わりに、テレビゲームはめちゃくちゃやってるかもしれない

私はよくテレビゲームとかスマホのゲームの話をしますが否定的ではありません。というのも、いいテレビゲームは映画ばりに考えさせられるし、感動させられます。プログラマーの汗と涙の結晶でしょう、ちゃんとクリアー出来るようにできています。

何を意味しているかというと、やったらきちんと成功体験を味わえます。しかし、野球はどうでしょう。練習を自分が倍の時間かけたら、倍で上手くなりますか?ほかのチームメイトは彼が上手くなるのを手を咥えて見守ってくれますか?評価する方も公平ですか?ゲームと違ってランダムな要素がいっぱいで、例え努力をしたからと言っても必ず結果に繋がるとは限りません。きっと、この父親ならプロ野球選手を目指すと言えば応援するだろうけれどプロゲーマーになると言うと反対するでしょう真顔

 努力を否定するのではなく、行動を選ぶプロセスには意味があると言いたいのです。教育者もそうです。でも、子どもは選びたくても教えてくれる人を選べない。楽しいから練習するのか、練習するから楽しくなるのか?それも1つの環境因子です。意識的・無意識的に拒否反応があれば無理やりグラウンドに連れてったところで技術の向上は望めないでしょう。

だから、教育って難しいんです。人を思い通りに操るなんて土台無理なんです。

 結局は自分なりの取捨選択を自分なりの経験の範囲で判断していく。それだけなんですよぼけー