『選択の科学』より、
異文化を持つ人に不信感を抱かなくなった事は良いことだと。
…略…
確かに、今の社会は以前に比べて「つながって」いるが、だからこそ以前より謎に満ち、混沌としている
…略…
そしてますます多くの人が、千差万別の語りをもとに、人生の物語組み立てている。すべての矛盾を受け入れようとすると、頭がくらくらするほどだ。何もかもが互いに触れ合い、重なり合っている。その結果、文化の混淆が進むが、衝突も避けられない。
これまでは、異文化の邂逅には衝突がつきものだった。言葉によってであれ、経済的、軍事的にであれ、双方が自己の優位性を見せつけ、相手側に同化を受け入れさせよう、あるいは強制しようとした。
この事は驚くには当たらない。
どの文化的スクリプトも、最高の価値観を持った最高の文化を自負し、多くの文化が滅びるなか、自らは生き残っていることを、その証しとしているのだから。
ずいぶんと引用が長くなりましたが、ここでは文化の話をしていますが…一つの企業も、人間も同じではないかと思います
何が言いたいかと言うと
自分は正しいと思っている。
ということです。
前にも書いた事がありますが、そうやって判断を下して、最終的には行動に移しています。
この正しいと思っていることが、実は別のアプローチ方法を隠しているとしてもです。
私の例で言うと、タワーディフェンスゲームをやっていると言いましたがすでに80点のデッキが出来ているのでほぼそれでどこのステージも簡単にクリアできます。いつもの育成用の素材を探すのにも、何度も何度も同じように攻略をしていますが…いつも新しい〝手〟を思いつくのは何かの加減でキャラクターの配置を間違えたときだったりします
あっ、これでもいけるんだ。と。
金持ち父さんの中ではこれを『現実』と呼んでいます。例えば、金持ちは気前がいい〜であったり、投資は危険だ〜であったり。正確にはどちらが正しいか?ではなく立ち位置が変われば、感じ方も変わる。例えば、多くの大金持ちは財団を持ち医療や福祉に貢献している。自分が難病で助けられたとしたら、そのお金持ちをケチだと思うだろうか?投資というと株とか証券とか想像する人が多いが、勉強するなんかの労力や努力もそれに当たると私は思う。それに寄って、給料が増えたり出世した経験がある人には、その投資は無駄だとは少なくとも思わないでしょう。
教育の講習をら受けていた嫁から聞いた話、反面教師というものは教育学上ないらしいです
私の例で言うと、職場で新人が辞めるたびに割りを食って空いたところのフォローに振り回されているが…ほかのスタッフは我関せずである。明日は我が身とも思っている様子もないし他人事である。よくある事後報告なんかを朝礼でやってても同じような事故もよく起きる。
結局は、その事象により自分がどう感じた?経験したかが大きく影響するのだという。
私の家で言えば、自分の母親はギャンブル狂の爺さんのおかげで15で家を出され、叔父も金がないと進学も出来なかったと。それを聞いたからというよりは、その話をしている母親の表情が痛々しかったから良くないという印象を持っているし、決してギャンブルはしない。
良いことも同じです。たとえどんなに良い話を聞いても馬の耳に念仏と同じ。
国がそうであるように同じような考えのコミュニティに集まります。起業したいというが、考え方を変えなければやはりそのグループには入っていけない。だから、人脈というよりそういう人と付き合えるようになることで自分で経験を積むしかないのだと思う。
今年はあまり本を読めなかったけれど、本を読むよりもアウトプットをたくさんし、経験を積めた1年になったなぁと思います。