私は、基本的にどんなジャンルのマンガでも読む方ではあります

冒険物・スポーツ・格闘・歴史・麻雀などなど…。しかし、大っ嫌いなマンガのジャンルがあります。それが、エロ系ハーレムマンガです
画力であったり、構図であったり、キャラの属性だったりあると思いますが…内容が読まなくてもわかってしまい、「お前ら(読者)はこんなのが好きなんだろ?ええっ!?」くらいに押し付けがましく不快を通り越して不愉快にすら感じさせられることがあります
要は読んでも、読まなくても内容がわかってしまうということは…その読むという行為自体が無駄に感じてしまうのです。
話は変わりますが、シーナ・アイエンガーの『選択の科学』を読み始めました。
こんな例え話があります。
これ以上はないというほど贅沢なホテルを想像してほしい
三食豪華な食事が用意され、好きなように過ごして良い。どんな要望でも叶えてくれるスタッフがいる。その上、最先端の医療サービスを受けられる。それらが全て無料だがたった1つだけ条件がある。
三食豪華な食事が用意され、好きなように過ごして良い。どんな要望でも叶えてくれるスタッフがいる。その上、最先端の医療サービスを受けられる。それらが全て無料だがたった1つだけ条件がある。 その条件というのが、チェックインしたが最後、永久に出られないのだという。
途中までの話を読んで、「いいな!」っと思う人はいると思う。けれど、人間は本質的に状況を自分でコントロールしたいという欲求が、それ自体が協力な動機になり得るという。だから、出る・出られないの選択を出来ないという時点で足踏みしてしまうはずだ
もっと厳密にいうと、コントロール出来るか否かそれ自体が問題なのではなく「自分の力で変えられる」といった認識の方がはるかに大きな意味を持っているという。
ここで、マンガの話に戻ると…なるほど作品の解釈がこうって形に刷り込まれたような感覚になるから私は嫌いなんだと思う
仕事においてもそうだ。どんな環境に置いても、誰かのコントロール下で働く事になる。ただ、そのときにどんなように認識するかは自由である。勤め人の、例えば辞める辞める詐欺をする人や頑張って働いても給料増えないんだから頑張るだけ無駄って言う人が嫌いというか、哀れに見えるのはこの人達は知らず知らずに自分達ではどうにも出来ない、無力だと無意識に認めてしまっているのだ。それが、精神が健全かどうかを語る必要もなかろう。
私だって、強い人間ではない。そんな人たちを変えてやろうとも変えれるとも思わない。だけど、私自身もそんな風には染まりたくはない。