小学校低学年のとき、自分のお父さんやお母さんが死ぬことを想像したとき涙が止まらなかった。その当時の自分には両親がいないとどう生きればいいか全く見当もつかなかったからだと振り返る。

そして30代を過ぎ、家族を持ち子どももいる今はどうだろう?

ちょうど映画『リメンバー・ミー』を観たからこんな事を考えるのかもしれないにやり

 映画の中でキーワードとなるのは〝人は二度死ぬ〟という言葉。私はマンガ『バーテンダー』でこの話しと似た内容を読んだことがある。だからこの二度を簡単に説明出来るが、知らない人にはわからないかもしれないので説明すると…


まずは、①肉体的な〝死〟

そして、②〝人に忘れられたとき〟だという。

この映画を観たときに思い出したのは、亡くなった声優水谷優子さん。ちびまる子ちゃんのお姉ちゃん役と言えば一度は声を聞いた事があるだろううーん私がこの声優さんの名前を覚えたのは、別のゲームのキャラクターの声優さんをしていたからである。もちろん人が亡くなる事は寂しい。けれど悲しいが、新しい作品が増える事はないけれど、映画でも、アニメでも、ゲームでも作品とともに記憶が生きる。生き続ける。まるで子孫のように。ピカソの絵や、ベートーヴェンの曲のように。

仮に私が死ねばなーんにもだ。もし、今この瞬間なら家族や友人くらいは多少は悲しんでくれるかな?まるで森山直太朗の〝生きてることが辛いなら〟の歌みたいにすぐに忘れ去られるだろう。別に、歴史に名を刻みたいとか、子孫を残せば満たされるということはこれっぽっちも思っていない真顔誰かに忘れられる事は、『リメンバー・ミー』の映画では死後の世界での死を意味しているが、それを考えること自体が意味があるのか無いのかは誰にもわからない。ただ、一つだけわかることは、もっと自分らしく生きれば良かったと死ぬ間際に思う人は少ないという。

 だったら、自分らしく生きるしかないでしょビックリマークまるで、禅問答のようなお話になりましたぼけーじゃあ、その自分らしさって?まさにそれを考えることが人生なんじゃないかな?死を考えることが、人生⇔生を考えることになっちゃったあせる