昨日は、ブログなど多種多様な経験という情報が晒されて簡単に覗き見させて戴ける状況にありますひらめき電球

だからこそ、玉石混交で価値のあるもの無いもの、アクセスするだけで時間を費やしてしまうものだけど何らプラスにならないものもあるというえー?

多種多様な価値観はいいが、どの情報か有益なのかは考えたいものである。

 ネットで簡単に何でも知ることが出来て、それを自分の能力のように考えてしまう人もいるが…それに依存し過ぎるのもいかがなものか?デジタルデトックスという言葉があるくらいである。ただ、価値のある情報には簡単に手に入らないし…有益な情報もそれなりの立場に自分がいなければアクセス出来ないのは今も昔も変わらない。

 ありがたいのは、多種多様な人々が…例えばレビューみたいにモノの価値を評価する。昔であれば口コミという形であったが、尾ひれが付いてそれはそれでまた正しい情報と異なる場合もあっただろう。今は隣近所の人以上に、第三者も加わり分母が大きくなり評価をされるのである程度はイイものはイイと考えるまでもなく評価しやすいという。勝手に統計が取れるのだ。

同じように本だってそうである。著者が、フィルターとなり一つの系統だった情報に纏めてくれている。自分が、それを一つ一つまとめて一つの結論を出そうとするとどれだけ大変か。昨日のブログに挙げた〝校閲〟という仕事は、その一冊の本の事実確認のために数十冊の本を読むのだという滝汗

脳科学者の茂木健一郎が、本を〝いきもの〟であると表現するのには深く納得する。

文字や言葉の無数の組み合わせは、決して同じにはならないからという。

同じように、人間だって同じことを経験したものは一人としておらずその人生の価値は収入だとか目に見えるものでは測れないと言うことである。