私もこうやってツラツラと文章を紡いでる訳なんですが…これが私個人が特異な人間で、人とは違った感性で誰もが共感や同意を出来ない内容を見せてしまっているかもしれない恐れはあります。
精神科の病院では、時代の背景か…発達障害か精神疾患なのかもわからず社会的な理由で病院にかかっている方がいます。発達障害の人は、当の本人は自分自身は至極真っ当で基準を自分に置いているので、周りの人間が複雑で訳の分からんことを言っていると考え被害的に捉える場合があります。まず、自分に障害があるなんて信じない。
事実は?というと、例えば小学3年生くらいの知能で止まってしまっている方が大人の都合や物の道理を理解出来ないのは仕方ない事で…見た目は大人でも中身が追いつかないのです。正に逆コナンくん
それと同じように私が言ってる事も、一般的に正しいか否かはわからんのです
これを看護学生時代の実習のレポートでは、エビデンスは何?ということで本から調べないといけなかったのです。
私だけが言ってるのではなく、先人で言えばナイチンゲールも同じことを言ってるから違いない!というはず。みたいな。
えっ?て思いますよね。
私も当時は、すっごい嫌な感じでしたが…言葉で表現出来ることに限界はあるし、他者の経験や感覚を同じようにと思って自分に置き換えた時点で違うものになってるから同じでは無くなってるのです。時代や、社会背景、国…などなどキリがないくらい。
だから、ソコを考えるだけ無駄なので基本的にめんどくさいので本に書いてある事は信じる。というのが私のスタンスです
それが、私の実生活に適応できるか否かは別の問題で〜と切り分けてます。
またまた『セブンルール』の話になるのですが、校閲という仕事を知ったのですが…本に書かれている内容の事実確認をするということを仕事にしている方がいるということ。その方々の仕事に関しては信用出来ると思います。著者と異なり、表に出ない仕事。誤字や、表現の間違いが無いこと、事実との違いで読者が読むのに違和感を感じて本を読めなくするのを防ぐことが仕事だから…仕事の評価は完璧で当たり前。だから、減点法なのだと。辛いだけだと
信頼のおける友人や、先輩。師匠の話を鵜呑みにするのも正しいかどうか?自分にも当てはまるかも定かではない。だって、相手だって、人間だもん。他人にいい顔したいことだってあるから、経験に脚色や美化がないとは限らない。
要は、何を信じるか?の判断に、力を入れるかだと思います。
昨日のブログでは、姿勢と表現したかな?
昨日のブログに挙げた東大生経営者の話の中であった内容で「流行っているのには意味がある」という。だからこそ、ミーハーでいたいと彼女の場合は水タバコをやっていた
友人のブログの中にあった、「〜力」とかいった本はごまんとある。私も同じ事に気持ち悪さを感じた。それだけ何らかの力を求める人がたくさんいて、実はハウツー本やビジネス書関連は毎月のようにすごい量で出版されている。インターネット時代と変わらず、知識の拡大だけでは本当の自分の価値はあげられないというのに。
さて、この玉石混交の情報社会に置き…ブログのように誰もが好き勝手に自分の頭の中の情報を垂れ流すことが許されているがどれを信じるのかはあなた次第ですよ。となるのだろう。そして、人の数だけ価値観があり、どれが正しいとか根拠になるかは本当に難しくなってくる。