突然ですが、私はシュミレーションゲームが好きです
特に、自分にとってのゲーム全盛期時代、(中学生頃)はスーパーファミコン略してスーファミからPSやSEGAサターンへの移行期で、スーファミではそのソフトにおける限界レベルの良ゲーが多数あったように思う
特に、自分にとってのゲーム全盛期時代、(中学生頃)はスーパーファミコン略してスーファミからPSやSEGAサターンへの移行期で、スーファミではそのソフトにおける限界レベルの良ゲーが多数あったように思う特にハマったのは伝説のオウガバトルシリーズと少し違った形のゲーム、『タクティクスオウガ』である。たぶん!何百時間と遊んでも、飽きずにやっていたのを覚えている。今で言うディスガイアなんかのやり込みゲームで有名な日本一ソフトウェアがありますが、ここまでやり込み要素満載のゲーム当時は少なかったように思います。
ゲームの概要は、騎士やニンジャ。魔法使いに、クレリックと…多数の職種の駒を使って、ステージをクリアしていくゲームである。
レベルがMAX50であるため、レベル1の違いはそこまで感じないが…レベルが3違うと攻撃が当たらないし、避けないし、簡単に死んでしまうのです。自国の民が死亡すると、ファイヤーエンブレムのようにエンディングはBADエンド確定
新しいステージに進む前には、ちまちまと訓練として自軍のユニット同士を戦わせてレベルを上げます。
レベル1差があると、ユニットを倒した際に経験値が20だか30近く入るから、この訓練だけでレベルを上げられます。確か同レベルでも16くらいもらえたはず。だから、経験値が100でレベルが1上がるのでトドメを刺すキャラを決めて5.6体のユニットを倒せばいくらでもレベルの底上げが出来る。
このゲームのミソはウェイト・ターン制と言ってキャラのAGIという素早さのステータスと、装備の重量で行動の順番が決まる点と言える。装備は、強ければ強いほど重量が重くなり…ワンピースで鷹の目のミホークが、ゾロを切った時のナイフみたいなちっこくて攻撃力が低い刃物を私はキャラに愛用させていました。いかに行動を早くするかがミソなので、カッコよかろうが攻撃力が高ろうが只の飾りです。行動出来ないうちに滅多打ちにするわけです
じゃあ、この肝心なステータスを上げるのには?というと職種(ジョブ)に依存します。わかりやすいところで、ニンジャであれば素早さである(AGI)や技術力である(TEC)が上がりやすいです。それとは逆に攻撃力に影響する力(STR)や体力(VIT)は低めに設定されています。だから、最速だけど、一撃一撃は弱く、確実にヒットはさせるという感じになります。バーサーカーなんかはイメージ通り、このニンジャと正反対の様な性質になります。
そして、初期のジョブというのが…男だとソルジャー。女だとアマゾネスとなり、全てのステータスが平均的に育ちます。平均的と言えば聞こえは良いですが…、ニンジャの様な機動力が無ければ、バーサーカーのような破壊力もない。騎士のように耐えられる訳でもなく、魔法も使えない。何をさせても中途半端になる
現実世界における自分って、まさにこのソルジャーだなぁなんて思ってしまう(笑)
もしかしたら、並以下かもしれないけど。これは、以前も書いた事がある自己評価の話になるけれど別に卑下しているわけではない。
もしかしたら、並以下かもしれないけど。これは、以前も書いた事がある自己評価の話になるけれど別に卑下しているわけではない。 ふと思うけれど、見方を変えれば…自分が標準並の能力しかないから他者を見た際にみんなスゲ〜って思えるのかもしれない。色んな人がいるけれど、私より優れたところが何かしらあり苦手だなと思う人はいたとしても、この人嫌いって思う人はいない。
さっき、のゲームの駒の様に各人色々な強みと弱みを兼ね備えている。
将棋を奥深いものにしているは、フェイズという概念がなく手駒から〝飛車〟を出すのも、〝歩〟を出すのも同じ一手と考えられる点。駒の機動性に関わらず、時間的なコストが同じなんてゲームではあり得ない。相手の飛車を手駒にしようと思えばそれ相応の苦労が必要だが。
将棋をしてる際も、ゲームをしている際も、プレイヤー自身は盤上にはいない。王将を自分と考えるかもしれないが、王将ですら思った通りに動かせるのだから将棋においては王より偉い存在であるといえよう。
実社会における関わりも、歪な駒のゲームのように考える事がある。
思う通りに駒を動かすのは、権力による力なのか?と思いもするが、盤上に立ち自分自身が動いて駒にダイレクトに働きかけられるという点では融通が効かない決まった動きしかしないゲームの駒よりは有利なゲームと言えるかもしれない。
そのために、相手をリスペクトする。尊重するという関わりも私に与えられた武器なのかもしれないですね