昨日の『キャパシティ』のブログの中に、弟の考え方が〝消費者的〟と表現しましたが…ここを掘り下げてみたいと思いました

社会における生産活動側からみて、わかりにくいな。商品Aのお好み焼きとしましょう。お好み焼きの視点を持ってください。色々な工程があると思いますが…
商品Aを作る会社で勤める社員の人の仕事は、生産ライン別になっており
・キャベツを刻む人
・具材を混ぜる人
・生地を焼く人
と大まかに三種の社員がいるとします。お好み焼きのあなたから見たら、社員さん達は
・キャベツを刻んでくれただけ
・具材を混ぜてくれただけ
・焼いてくれただけ
ここには、材料の仕入れや、販売促進の営業、人事、経営陣など直接商品である私に触れない人も少なくないのです。
次に、自営の方は前述のことを全て自分で管理します。当たり前の話ですが、個人事業なので小規模になりスモールビジネスと言われます。
次に資本家と言われるビジネスオーナーはこの自営業者がやるような管理が行き届いた生産設備を所有します。
キャベツを刻んだり、焼くことそれしか出来ない人にはまず商品Aを作れません。材料も買えなければ、道具も持ってません。販売ルートも無ければ、ただ持っているのは労働力のみということになります。これがいわゆるサラリーマン、勤め人ということ。この人にはこの会社においてキャベツを刻むだの、生地を焼くだの仕事全体の流れからいっての極一部でしか働いてないのです。どんだけ、キャベツを刻むのが一般の人の3倍の速さでキャベツを刻めたとしても、焼く部門は決まった時間焼かなきゃいけないし…全体としてはあまり意味がありません。
自営業者は、全ての工程を担当しなければならないので膨大な時間がかかり勤め人と同じように働いていてはたくさんの商品を作られません。そのかわり、仕事の時間の配分や、エネルギーをどこにつぎ込むかなど自由に出来る。他者に死なない程度のギリギリのラインで、頑張らないと20万円やらんぞ?と言われるのと、やり方は任せるから20万稼いで!と決められるのの違いでしょうか。
そして、資本家がその生産設備を持つものになる訳ですが…実はこの人達が儲かる理由が先に出ています。人を頑張らせて働かせると、上記のように3倍のキャベツを刻ませる事が出来ます。そんな従業員がいればいるほど…
いう必要ありませんな
これが、マルクスの資本論です。(まぁ、私は図書館でマンガを読んだだけですが
)
勤め人で、大成功しようと思うとまず分母が大きい上にキャベツ刻むなら刻むでそれしか考えてないのでよっぽど努力しなきゃ一番にはなれないのはわかりますよね?どうしても、マンガ『キングダム』の主人公シンを思い浮かべてしまうのですが…バゴーン、ボカーンと人馬ともに吹き飛ばすほどの斬撃を繰り出します
そんな膂力を持っていなくてはならないのですが…じゃあ、その能力はその子孫や部下に継げますか?ということ。ましてや、戦の流れを読む力なんて受け継げるわけないでしょ
軍師である河了貂は、戦において兵糧や、兵力、戦略などでシンのような武将達を動かし勝利を導きます。シンは、目の前の武将1人を倒すのに必死ですが、河了貂のように全体が見えてなければ試合に勝って勝負に負ける〜みたいな、シンが敵将を討ってる間にこちらの総大将が首を取られたとなれば国は滅んでしまう。
軍師である河了貂は、戦において兵糧や、兵力、戦略などでシンのような武将達を動かし勝利を導きます。シンは、目の前の武将1人を倒すのに必死ですが、河了貂のように全体が見えてなければ試合に勝って勝負に負ける〜みたいな、シンが敵将を討ってる間にこちらの総大将が首を取られたとなれば国は滅んでしまう。結局、何が言いたいかと言えば…全てキャパシティの話になるのです。自分をコントロールする力。他人をもコントロールする力。そして、コントロールされた組織をもコントロールする力。何だかんだ言って、それぞれ必要な力には変わりないのは間違いない

サッカーにもバスケにも司令塔がありますが、自分の個人のスキルよりも、周りのプレーヤーや試合全体を重視するためエースストライカーやフォワードのような花形ではないが、ゲームメーカーとして裏で糸を引いている(アシスト)で活躍出来る。
適材適所かと思うが、司令塔が点数を取れてもいいわけだし…そんな人間でなければ人は従いにくいというのも事実。金持ち父さんが、順々にステップアップすることになるというのはよくわかる気がする
そして、弟の様に視野が狭いと損をすることになるのです…
(続く)