精神疾患の患者さんと関わるにあたって、よく使うようになったのが〝キャパシティ〟という言葉ですひらめき電球

キャパというと、許容量という日本語のルビが振られますが…器だというとそれがその人の価値のように感じるので、どちらかと言うとパソコンにおける容量のように考えた方が正しいと思いますにやりパソコンにおける容量とは、作業に対する順応性に近いかなぁと思います。

 例えば、体のことが気になると…途端にパソコンがフリーズしたように日常生活が行えないくらいに機能不全が起こります。確かに重病であればわかりますが、風邪や便秘などのよく起こるような病気でもです。人間関係で同じで、恋愛関係や親子関係がうまくいかないと瓦解するかのように簡単に日常が崩れていきます。


 

 話はうって変わって昨日まで、イベントのお手伝いに行っておりました。車を弟に借りていたので、返しに行くと…弟には「自分だったらイベントで走る方がいいけどなぁ〜」と言われました。もちろん、私だって自転車に乗るのが嫌いなわけではありません滝汗どちらかというと好きな人です。テレビゲームのプログラマーになりたいと思う時期がありましたが、普通にゲームを作る人で「売ったら金になるから、ゲームプログラマーになりたいんですわ」なんて人少ないでしょ?いや、別の方法でよくないですか?と思いますあせる

 ゲームを作る人が、その人達が簡単過ぎてもダメだし、ギリクリア出来る設定でプレイヤーをおもてなしているわけですひらめき電球簡単すぎるゲームはヌルゲー。難し過ぎると場合によっては、クソゲーと評価されることもしばしば。自分のおもてなしが、ユーザーの心にどう刺さるかを想像するとニヤニヤしてしまいませんか?まるでサプライズパーティーみたいなもんです。

反対に、弟のように言う人を私はすごく、消費者的な思考回路をしているなぁ。と思いますうーんどちらがいい、悪いではなく…前にも書きましたが消費者がいるから生産者が現れるし、消費者の中からこんなサービスや商品があったらと思う人が生産したりするのだろう。

 自分の快・不快を優先的に考える思考回路の人間と、私のように他者を思うように動かせる事に快・不快を優先に考える人は…まるで自閉モードのパソコンと、ネットに繋がっているパソコンのように違うような気がします。前者は前者で自分の世界を掘り進めていけば良いだろうし、後者は並列化・同期する事で世界を広げればいい。そんな違いを感じたのでしたショボーン