私の父の話をしよう。15歳で、〝金の卵〟と言われる時代に上京するも馴染めず、関西へ年の離れた兄貴を頼りに流れ着いた。夜間の高校に通い、資格を取りながら勤めていた。バブル期では、タンクローリーの運転手など特殊車輌の運転で生計を立てていたが別段恩恵は無かったと母は語っていたにやり九州男児の父の希望もあってか、男は働き、妻は家庭を守るものとして母は専業主婦であった。貧乏な団地暮らしだったが、周りもそんな家庭が多く、当たり前としか認識しかなかった。私が小学校高学年になる頃には、バブルも崩壊し、いよいよチャンスが回ってきた、今が底値だとマイホームを夢見たが、父の収入だけではやってはいけず母も勤めるようになったぼけー

 父は、職場を代わりとある上場企業の大型特殊車輌の運転手として25年?もっとか?をその企業で働く事で使ってきた。

 私には出来ない話である。もちろん、特殊な車での操作で難しさはあるだろうが…淡々と、毎日・毎日ほぼ同じ工場内での貨物の移送が仕事である。車の運転と言えば、今やスマホしながらする人間も少なくないほど、手持ち無沙汰な作業と運転自体が嫌いな人からすれば退屈な作業である。そこに、毎日自分の課題を見つけて?淡々と仕事を続けてうん10年。

私にはやはり難しいなぁと思うのです。

そうやって、自分の与えられた役割をきっちりとこなす職人のような生き方をお手本のように感じます。じゃあ、私のように起業を目指しつつ勉強をしながら、本業に当たっている自分は、真に自分の役割を果たせているのか?
 きちんと100%やりきっているかと言えば、そうじゃないから別の事に余力を使えるのだと思うのです。そこに、無意識の後ろめたさのようなものを感じます。

 勤め人の中で、毎日の業務の工夫や努力、学習することは当たり前であるが、医療系だけなのかどうかはわからないが…意識的な、学習だけが評価される風潮がありますひらめき電球

ロバート・キヨサキの言うところのペンを持って、メモを取って書き書きする、机上の勉強。まさに意識の領域。反対にそれは、教えるより諭す。学ぶより実体験こそ最高の学習だ…というのが五感を使って自分の身で学ぶ。ディスカッションやディベートがそれに当たるというのだが…それを価値のある努力とか、統一した評価にならないので努力とはなかなか評価されない。

 後者を今、特に重視している私であるわけだが、それは私の主観で学んであっても意識としては例えばこんな医療書を何冊読んだとか言うよりはインパクトは無いし理解もされない。ましてや、注射するとか、何か医療行為を看護師としてするのと、組織(部署)を統括、管理する、円滑に皆が動けるように働きかけるでは1スタッフレベルでは、注射なんかの医療行為を行うことが仕事だと思っていて、それをしてない人は仕事をしない人だと思われる。ラットレースで、歯車の中にはネズミが居ないといけないと考えている人が普通で…歯車が回っていれば人が手で回せば良いのだが、ネズミが走ってないと頑張ってないと思われる。

 空回りはしているのではないが、道から外れている。そして、それを意識的にやっているが楽な方に逃げたがる自分がいるから言葉で表現するえー?

 真面目と言われそうだが、100%出し切らずに仕事をしているという点では不真面目だ。