昨日のペルソナの話の中で、誰しも〝力〟を持っていると書きました
ペルソナが心理学の用語である以上、その能力は特別な能力でなく学者がこれをこう名付けようとした概念である

マヨナカテレビを精神世界とすると、もし自分が認識し得なかった自分と出会ったとき…外観では判別出来ない自分が全く違う考え方や価値観を持っていたとしたら、受け入れる寛容さが人間にはあるのだろうか?並行世界から来た、自分でない自分。比べると、幸せ〝そう〟に見えたり羨ましく思えたりして受け止められないのではなかろうか?ゲームであるから、現実世界での死という形で表現されている。よく仮面ライダーのジェネレーションシリーズでは、平行宇宙から別の仮面ライダーが来た設定でトラブルになる
仮面ライダーディケイドなんて、その典型でほかの世界に行っては別のライダーを破壊するのだから

なり得なかった自分をシャドウといい、それとは反対になれた自分をペルソナという。では、誰がこの力をくれるのか?ゲームのように、日本神話の伊邪那美やらの神さまではないのはわかりますよね
では、誰が?
それは、その人の関わるもの全てである。環境とも言えようか。
たとえを変えます。漫画『攻殻機動隊』の一巻のBRAIN DRAINの話の中で、あるテロ集団の組織の少年兵を主人公である少佐が射殺をしてしまいます。本人が驚くほどのことです。だって、普段なら訊問したり、情報源を脳にハッキングしないと事件の全貌がわからないまま尻尾切りになってしまうからです。それを録画されており、メディアに流されて裁判沙汰になります。
そこでのやり取りが、
弁護士が発砲まで1秒あるけど、なぜあなたは彼を殺したのか?と尋ねます。
0.82秒
唯一の現実は死で 私は現実主義的だからです
生命自体よりその可能性(ソフト)が意味を持ち評価の対象となります
彼が彼自身であったのかまたヒトだったかそれは判りません
でも悪夢(プログラム)から醒めた事は確かです
彼の悪夢(プログラム)が生活排水なら私はそれにまみれる排水処理器
真に彼を殺したのは彼を形成した人達(プログラマー)…
私は不本意にも彼を助けたんです
?
弁護士も陪審員一同、はぁ?って顔をします。
ここでいう、彼の思想を植え付けたのは特別な思想を植え付ける訓練をした人物がいなかったとしても…他者に害を与えるテロ行為をしないといけないと思ってしまう(悪夢のようなプログラミングされてしまった)人物にしてしまった環境。その解決策が、彼自身に変わろうという意思=可能性があるかないかが評価の対象だったと述べている。
だから、話を戻すとこれらの力を与える影響の多くは私は「人」であると思うのだ
意識的にも、無意識的にも違いに違う価値感をぶつけ合い、プログラムを塗りかえていく。
意識的にも、無意識的にも違いに違う価値感をぶつけ合い、プログラムを塗りかえていく。 ゲームペルソナのなかでは、主人公以外は別のペルソナを持ち得ない。(進化はするけど)なぜなら、主人公である私が認識し得る、登場人物は私の中の彼という一つの像に過ぎないから。彼の中には彼の中でいくつもペルソナを持ってるはずなのだ。
ペルソナは、問題を解決をするためにつけた自分自身の仮面。強さ、自分らしさ。それとは反対になり得なかった自分であるシャドウを他者に見出したりする。反対に良い点も見つけたりもする。そんな現実世界で、力を与えるのは人。神は人を己に模したというが、全知全能という事は全ての属性を備え、全てのことを知っている。要は全てに当てはまる。神だけに紙の紙面全体を神さまとすると、鉛筆で点を打ったその〝点〟が私。その周りにいっぱい点があるのが、他者。紙の上に書いた点だから神の一部を他者から見えるというのだ。
そう考えたらゲームなんてやっている暇はない。自分も現実世界では、少なからず他者に影響を与えているというのは間違いないのだから
そういう視点や、切り口を与えたかったのがゲームの開発者であったとすればゲームからも学ぶことはたくさんあるという。