私が自転車を始めたころ、一つのサイトをよく覗いてました。どんな自転車を買おうか、パーツのグレードアップはどうしようと悩んでは情報収集に勤しんでいるつもりでした
板の主の管理人が、ある日書き込みに対して攻撃的な意見を投げました。「一体、その自転車のどこがいいのか?雑誌や、ネットの情報でなく自分の経験に基づいて、それを説明しろ」というのだ。同じように別のユーザーが、それに同意して攻撃を始めた。私が看護師だから、そうなのかはわからないが…エビデンス(根拠)となるものでなく、個人の経験でものを言うなんて、それはあなた自身の思い込みかもしれないよ?と言われ兼ねないと教えられてきた。
しかも、(管理人)という権力を持った人が自分の価値観のみを共有出来る為の場所、つまり自分の考えと違う人間を排斥しようとするようなこの掲示板にマスターベーションでも見せられたかのような不愉快さと吐き気を覚えた。だから、この板の参加者はこの主が書いた自転車を盲目的にイイ!イイ!と言って同じものを買っては自慢をしてたのに気持ち悪さを感じた
その書き込みをした人は、その主が薦めた自転車を褒めたばかりに批判されるという。経験に基づいて、主観的に発言した事は全てこの板では正しいはずなのに…イエスマンしか意見の交換を出来ないと。数ヶ月前にも、同じような現象を人気のアメブロガーさんのところで感じた
確かに、経験に基づいた〝学び〟はその人自身にとってのみはこれ以上とない教材となるが…はっきり言ってそれが他者にとっても価値のあるものと言えるレベルで学び取れるかというと…そうではない。だから、実体験の中で失敗しながらでもいいから経験を積むことが一番の学びであるはず。
もし、前述の掲示板や、ブロガーさんのブログで必要だったのは素直に傾ける耳…人の意見を謙虚に聴くことを〝傾聴〟というのであるがそういう耳を持てない人が少なからずいるという
もしも、100%の相手の経験の話を正確に受け止められなかったとしても50%だけでも聞き入れられたとしたら人よりも一歩進んだ切り口を持てるのではないのではないかと思う。
この考え方すらも、私の経験なんだけど(笑)