最近、私なりのひとつの到達点に到着した。読書だったり、こんな風にブログを書くというアウトプットをしていて…。
だから…
周りがどうだから…とか、環境がどうだから…とか考えても仕方ない事である。
本を読む理由を書いたが、結局のところ自分と他者(著者)の考え方の差異から自分の位置を探る作業になるが、生育環境や、年齢、知識の量など諸々の理由から考え方が同じ風なことはわかるけれど100%完全一致はしない。
だって、別の人間が考える事だから。
これは真理だ。完全には分かり合えない。(なら読む意味もないと思うかもしれない自分の現在地を知る必要がある。原点が明確にならなければ違いも明確に出来ない。原点がわかると読む意味もなくなってくる気がする。)
人を変えようったって無駄だ。自分の思い通りに従えない事を、期待通り動かないから裏切りだとか言うがそれだけの相手に能力がどうかも見立て違いかもしれないし、思い描いたものが相手に伝わってるかすら怪しい
だから…
周りがどうだから…とか、環境がどうだから…とか考えても仕方ない事である。
変わらない場所にしがみついて、ごちゃごちゃ嘆くくらいならサッサと辞めてしまい、新しい仕事場で100%の力を発揮すればいい。辞める準備が出来てないなら、100%の力で辞める準備に必要な段取りを整えるしかない。どっちもしない人に流されたり、100%の力を使ってないなら相手にする価値もない。そもそも自分が、100%出し切ってたら周りなんて気にしてられないもの。
知略・謀略を尽くして、想定し得る万事を尽くしてさえ、最後は時の運だという。尽くしてなければただ、勝率が下がるだけだ。戦わない人は結果を出せず、足踏みして、暇だから足を掛けたり足の引っ張り合いをする。置いていかれるのが怖いのだ。
スポーツ選手やアーティストが、オリンピックや大会で1位になろうとここのこの部分が気に入らなかったから自分では納得いかなかった。というのは、謙遜でもなく思い描いていた理想像が高く、それに追いつかなかったから世界で一番と言われても自分を認められず自分の気持ちが満たされない訳だ。
みな違う人間だから、誰かにどんなふうに仕事を評価されたとしても自分が思い描いていたものとは違うから満足出来ない。
例えるなら、自分が花の絵を描いて…かわいいタンポポの花だねと賞賛を受けても、自分が描いた絵がひまわりだったら賞賛されようが、お金を積まれようが虚しいだけだ
それをお金もらえたら何でもいいという人こそ、銭ゲバで心が貧しく、金に品性まで売るような人間だと思わないだろうか?
これを悪用するのが、ブラック企業のやり方で…報酬が少ない=自分にはこれだけの価値しかない。他では雇ってもらえないなどと刷り込むのだという。金銭的にも、精神面にも余力がなければ視野も狭くなりがちで本人も周りも気付かないかもしれないけれど
それはさておき、日本に生まれただけで世界規模から見たらよっぽど水準は悪くない国である。金銭面にしても、衛生面にしても、教育にしても、安全面にしても。能天気にスマホいじってフラフラ歩いてても、スマホを盗むために命を奪われることなんてないでしょ?
そんな国にいて、やれ給料が少ないだの人間関係が…だのなんと足元しか見てない事か
仕事は、させられてするんじゃなくて自分で明確な目的を持って達成する意識が少ないから自分で自分を評価もできない。自分で自分を評価出来る事が何よりの報酬。芸術の様に非生産活動であれば自分のイメージを描ければ評価されるかもしれないが生産活動において評価するためにはもちろん自己評価だけでは不十分で、上司→部署→経営者の視点を俯瞰する必要がある。それでも自分を正当に評価してくれないと思うなら起業して、会社よりも大きい社会や世界を相手に戦えばいいさ
仕事は、させられてするんじゃなくて自分で明確な目的を持って達成する意識が少ないから自分で自分を評価もできない。自分で自分を評価出来る事が何よりの報酬。芸術の様に非生産活動であれば自分のイメージを描ければ評価されるかもしれないが生産活動において評価するためにはもちろん自己評価だけでは不十分で、上司→部署→経営者の視点を俯瞰する必要がある。それでも自分を正当に評価してくれないと思うなら起業して、会社よりも大きい社会や世界を相手に戦えばいいさ