先日、コーチングを学んでいる嫁から聞いた内容ですニコニコ

あるテニスコーチが生徒を指導していて、何時間かけてもひとつの課題がクリア出来なかったという。その状況でも生徒を置いていきたくなかったのだが、どうしても用事が出来てしまい同僚の陸上のコーチに1時間生徒を預けたのだという。

陸上のコーチは、テニスなんて一度もやった事もないので…文字通り手探りの指導が始まった。

陸上コーチ「君たちは、この課題をやっているというがどんな練習なんだい?コーチはどうすれば出来るって言ってたんだ?」

 生徒「こうこう言われてます」

陸上コーチ「じゃあ、やってみよう」


…。

陸上コーチ「やっぱり出来ないなぁ。じゃあ、こうこう言われているところを伸ばすようにする為にはどういう方法をとれば良いんだ?コーチはテニスの事が全くわからん。」

生徒「こういうアプローチがあります。」

陸上コーチ「じゃあ、それで試してみよう。」

 ご想像通り、最終的には何度やっても出来なかった課題を見事に陸上コーチの指導で1時間以内に出来るようになってしまったというお話びっくり

  2人のコーチの指導方法は何が違ったのだろう?生徒は何が変わったのだろう?


 元テニスプレイヤーだったテニスコーチは、生徒にあくまで自分の経験による自分の感覚を元にした指導をした。一方、陸上コーチはテニスをプレイした経験がないから生徒自身の感覚を元に意識的なところを指導し気付かせた。

前者の場合、上手くいく場合も少なくはないが柔軟性や筋力、体力、テクニックなど様々な要素から同じ人はいないのだから若かりしコーチに出来たかもしれないが今の生徒にはできないかもしれないびっくりしかし、陸上コーチのとった方法のように生徒に合わせた理論的なアプローチならやり方は皆違うかもしれないけど…最終的には出来る可能性もある。

 

 一方、本を読んでいてもそうだが…

昔、国語の授業ではこう習わなかっただろうか?

「筆者の考えや言いたい事を読み取りなさい」


私は、半分正解で中途半端な答えかと思ううーん


 というのも、筆者の考え方を知って…もちろん共感出来る部分もあるが、知らなかった事や、もしかしたら想像の域を超えない事なんていくらでもある。それは、自分の人生経験であったり、正にペルソナとシャドウの話の如く…ああ、この考え方も自分も持ってるけど、他の人も持ち得るおかしな事ではないのだなとか。自分が成り得なかった自分。だったり、もしくは他者を通して、こういう考え方もあり得るとか。そんな認識を増やしていく作業だということひらめき電球その文章ですら他者の美化なんかは、あるけれど…会話の方がよっぽど脚色が多いと私は考えている。

 自己と他者との境界や重なり、から自己への理解を、深めていくことに他ならないのではないかえー?