先日、母親と電話で話しをしたときの事です。母20年来の友人がガンに罹ったそうです

母「あんたも知ってる人やで。」

私「〇〇のおばちゃん?」

母「そう。何も言ってあげられないし、何もしてあげられないし辛い」と話す。

 話しながら、自分の母や父も決して若い訳ではないから終活については考えておくべきだと話したうーん

(妻には、そんな友人の死が間近に近づいているのにタイミング悪いと苦言を呈されたが…)

人間は辛い事は忘れられるようにできている。気持ちが落ち着いてからだと、全く自分が死ぬなんて〜とまともに向き合う方がまれに思うぼけー

 だって、どういう状況かわからないし〝死〟を想定してして考えるとその前後の要因を考えたり、しんどい事だらけだ。考えなくて済むなら避けて通りたいだろう。

 未来の予定や物事を考えるときは、原点は〝今〟に置く。だから、未来の不確実性に希望や夢を持って生きられる。それとは全く正反対の過程が死を想定してということになるひらめき電球

 でも、死から逆算して…というのはとても有用だと私は思う。

 オリラジのあっちゃんはがなんかの番組で語っていたがあの年齢で終活を済ませ、墓も持っているというびっくり

 背水の陣ではないが、こうなりたいからいついつまでにコレは済ませてないとね?

と考えられるという。


 時間は唯一平等に与えられたものである。どう使うかは自分次第である。ただ、明日も明後日も変わらず元気で何でも出来ると考える人には時間の有限性は考えにくいかもしれない。限りある時間を何に使うべきか…

 GW後半戦スタートだあ〜