先日眠れなかった理由は、よくわかっている。もちろん娘のことを悩むのはふつうであるが、私の場合はそれにプラスして悩むことがある。
タイトルの『カッコウの卵は誰のもの』は東野圭吾の作品であるが…私は内容は知らない。けれど、そのタイトルから内容の言わんとすることは想像出来る
カッコウの生態として、〝托卵〟ということをします。子育ての一切をすべて別の鳥にさせるということです。
母親であれば、自分の体から産んだ子どもを産むまでの過程10ヶ月…約一年ほどの時間をかけて体を共有する…文字で表すと〝一身同体〟になる
その間に得るものが、母性というものだ。これがあるから男だったら耐えきれないであろう痛みに耐え、この世に生を産み落とせる。
その間に得るものが、母性というものだ。これがあるから男だったら耐えきれないであろう痛みに耐え、この世に生を産み落とせる。 じゃあ、男性は?というと子どもが生まれてからそれは育まれ、父性という。
その初期。生まれて間もなくは、コイツは俺の子なのか?ということを悩み、子どもと関わるうちに愛情を持っていくのである。
私の場合、長女とは血の繋がりも無いので…コイツは俺の子なのか?どころか、カッコウの卵のように騙されて育ててるのとはまた違って、わかってた上で育ててるというという意味では教師に近いのか?
でも、情がない訳ではないし、家族なので基本は味方という立ち位置だし、甘いはず。
ただ、言えるのは、ふつうのそこらのお父さん方よりもコレはちゃんと父性(愛)をもって接しているのか?という事を余分に悩んでいるということ
我ながらややこしいなぁ〜