今日は、朝から子どもを連れてスポーツジムに行ってきました
が、それも「僕、体操お休みする。」と家を出る前から息子は言っていて着いてからも体操服に着替えもままならない
これが初めてか…というともう何回もあって、数ヶ月こんな事を続けている。
これが初めてか…というともう何回もあって、数ヶ月こんな事を続けている。私は「もう辞めてもいいんじゃないの?」ずっと言っていたが、やっと嫁の方が納得した。それに数ヶ月要したと考えた方が正しいのかと考える
タイトルの『投影』とは、精神学的な言葉でこの様に自分の中で抑圧したものを他人に映し出し、他人のものだと思い込むことです。 自分の中で抑圧した感情、抑圧した欲求が、自分という枠から出て、 他人のもののように見えてしまうことです。
これは防衛機制というものの中の1つです。防衛機制とは、自己を守るために無意識的に起こる精神的な防衛メカニズムのこと。 人間は、何らかの葛藤や痛みを予感すると、そのような状況を避けて自分を守ろうとするために防衛機制(ディフェンス・メカニズム)と呼ばれる心の動きを発動します。
親がそこに気づかないで、3歳の子に強制してると考えるとちょっと可哀想なものです。子どもが、体操をしたいと思わないのには…そもそも(体操に)行かせたいと考えている嫁自身に運動習慣がない。それに加えて、嫁と私、妹と切り離されて体操をするというのはうちの息子にとっては辛かったのだろうと思う
私だって、そういう自分の息子と同じような経験がある。子どもの頃少年野球を習っていた頃である。強いチームだったので、勝ち負けに拘る親や監督の方が選手以上に必死だった
バッターボックスに立つ前、ヘルメットをバットでガンガンと監督に小突かれた事は子ども心に恐怖でしかなかった。それでも、辞められなかった私は練習からわざとエラーをしたり試合に出ない努力を一生懸命やり小学六年生卒業後には、二度と好んで野球には関わらなくなった。同じように、幼馴染のピッチャーをしていた子ですら中学2年生の時に部活動のバレーボール部を始めたとき、「ずっとこれがしたかった」と彼の両親から聞いたと教えてくれたのは私の母だが、自分が私を辞めさせてくれなかったのは忘れていたようだ
結局、同じチームで野球を続けたとか、生涯スポーツとしてやってる子は1人もいなくなった。
逆の立場で、私が好きだった声優さんがいる。坂本真綾ちゃん。当時、中二病というくらい多感な年齢であった私だったがその頃から劣等感しか無かった。真綾ちゃんの場合、『天空のエスカフローネ』というアニメでヒロイン役に高校生で大抜擢。当時では珍しい、大御所でもないのに主題歌を歌うなどを務めた。そんな彼女にどこか惹かれるものがあったのは未熟さや自己嫌悪感をどこか本能的に感じたからだと私自身が成人し、等身大の自分を受け入れられるようになってから気付いた。そんな彼女を通して、応援したかったのは彼女自身でなく、彼女を通して自分自身を応援したかった。認めてあげたかった。ファンを止めようと思ったのは、劇場版エスカフローネで『指輪』という、曲を聴いたときに坂本真綾という少女が、女性に変わったということを感じたからである。年齢差のあった私はまだ子どもだったからであろう
私がファンをしている間、5年ほど雑誌のインタビュー程度のメディアに出ていたが皆無と言っていいほど人前に顔を出さない人物だった。26才くらいの頃のライブで、はっきりと彼女自身が「ファンとの間に見えない壁、バリアーを張っていた。」という事を述べている。彼女の話し方などから察するに、私がファンだった当時からもともと人前に出て何かをするような気質ではないと思ってはいた。私の小学校のクラスメイトにいたチャイドルとはまた違った性格だ。それが、劇団で役者さんのような事をして…気づけば全国区レベルのアニメの主役。重かったんだろうなぁと思う。それからも、微妙な感じで声優としてはパッとしなかった。まぁ、今では2世代から愛される大御所になってますが
私がファンをしている間、5年ほど雑誌のインタビュー程度のメディアに出ていたが皆無と言っていいほど人前に顔を出さない人物だった。26才くらいの頃のライブで、はっきりと彼女自身が「ファンとの間に見えない壁、バリアーを張っていた。」という事を述べている。彼女の話し方などから察するに、私がファンだった当時からもともと人前に出て何かをするような気質ではないと思ってはいた。私の小学校のクラスメイトにいたチャイドルとはまた違った性格だ。それが、劇団で役者さんのような事をして…気づけば全国区レベルのアニメの主役。重かったんだろうなぁと思う。それからも、微妙な感じで声優としてはパッとしなかった。まぁ、今では2世代から愛される大御所になってますが この防衛機制のミソが、無意識であるという事だ。親が心から楽しんでやっていれば、子どもは楽しそうと真似をしにくる。私が自転車をメンテナンスしていじってると一歳くらいの頃から、工具を持ってまとわりついてきたし、本を読むのも好きでよく読んでくれと持ってくる
過剰な期待や押し付けは無用なのだ。
これは何も子どもにだけ限った事ではない。仕事場にいる部下や後輩だってそうだ
心から自分自身が楽しんでる、頑張ってる姿を見ている。背中で語るというが、そんな姿を見せたいものだ
子どもでもそうだが人は変えられない。変えられるのは自分だけだ。
心から自分自身が楽しんでる、頑張ってる姿を見ている。背中で語るというが、そんな姿を見せたいものだ