人間の本質って何だろう?なんて考えるとちょっと難しい
でも、本能という根源的な部分を考えれば意外と容易に想像は出来る

「衣・食・住」で事足りていれば生きていくには十分だった…時代から、先進国の仲間入りをしてからそれだけでは飽き足らず娯楽などの人生の質を向上させるものが必要になったのが現在の日本だと思う
本能中心の思考の動物と理性のある人間との大きな差だ

例えば、旅行なんて必要?別に他所へ行って地方の名産物食べたりしなくても死にはしないですよね?温泉や、綺麗な観光地だってインフラの整備されていない発展途上国に比べれば多くの家で一つの風呂があり、ネット環境があれば世界中の美しい景色すら見れる
映像とはいえ、画素数も飛躍的に上がりテレビなさやPCのモニターだって安価で高性能になりつつある。だから大型化もしてるから臨場感だって出せるはず…だけどまぁ、それすらも見なくても死にはしない
じゃあ、なんの為に?というと前述の人生の質…これをQ.O.L(クオリティ・オブ・ライフ)というのですがその質の向上のためのサービスや商品、アクティビティが増えている。
なぜ?
人生を振り返って点数をつけるとして、あぁ…これが最高の人生だったと思いたいでしょうし、実際はなかなか生き辛い人生のストレスをその瞬間だけでも忘れたいとかこれも生きる為に必要と言えなくは無くなってきているのである。
例えば、依存症なんかを考えると分かりやすい。20年ほど前には無かった依存症が生まれている。ネット依存症、携帯依存症。依存の定義は難しいが社会生活に置いて、有害性が認められたとしても止められず…韓国では、私もやっていたネットゲームであるが座り過ぎてエコノミークラス症候群を起こして死んでしまった20代前後の人が居たとか。ゲームという形ですら、「俺って凄いだろ?」と承認の欲求を気付かずのうちに命を賭けてまで果たそうとしている。度が過ぎた話だが、アルコール中毒で死んだ人も少なくない。結構、まじめな話だ。愛情と所属の欲求、先ほどの承認の欲求が充たせるかもしれないとずっと…〝イイね〟してネットサーフィンし過ぎて寝不足で毎日時間が足りないなんて人も多い。身近ではうちの娘だな
テスト前になると、次々と新しい携帯のアプリのゲームをしては非常に分かりやすい現実逃避だ

最終的には自己実現の欲求を叶えたい。なりたい自分になる…ってコト。自分が想像している理想の自己像と等身大の自分の完全な一致。人間という枠組みが同じだがら、自分が欲しい物は欲しい他人が居てもおかしくないし、それが商品になる。いつだって、アンテナを立てて観察すれば他人と自分の共通点も見えてくる。そんなところから色々なアイデアやサービスは生まれてくるのだ

なぜ?なぜ?なぜ?
それは人間が人間たらしめるだけのことなのかもしれない。