先日の『本が読みたい〜』のブログの中に書いたように、本を読む理由というのが理解出来た。

 『GRIT〜やり抜く力〜』の著者アンジェラ・ダックワースは、精神科学の権威ある先生に言われた言葉で非常にショッキングだった出来事として、「君は2年も経つのに何もしてないね」という感じの事を言われたそうです。

 あれ?どこかで聞いたような話ではないですか?

 そう昨日も書いた、嫁とのやりとりです。彼女は色々な実験調査のデータ収集はしているが、自分で仮説を建てて理論や定義として論文(アウトプット)としてまとめていないという意味で先生は言ったのである。

これを聞いた時、私自身にも伝わるものがありましたポーン

頭の中にこの実験結果のデータがどれだけあろうと、誰にも共有出来なければそれはただのその人個人の経験にしかならず、言ってしまえばこの人が死んでしまえば終わりな情報に過ぎない。

 昨日、取りあげた『ISSUE DRIVEN』中にも同様のヒントが。自分が徹底して言葉に落とし込んだ時に、曖昧な表現になっている部分には問題となる核が残っている可能性が高い。という事だ。

 もちろん、経験として自分の中でブレない軸としてあればいいという考え方もある。そう例えば〝ことわざ〟の様に経験を誰でもわかる様な例えられたものも、この概念をかたちにしたものである…と『思考の整理学』の外山滋比古先生も著者の中で述べていますひらめき電球

 ただ、経営者となると…自分の想い、理念を正確に伝えなければ働く者が同じ方向を向いていないと中身がスッカスカになってしまいますうーんなるほど、身内であれば育児やしつけの一環として何年も成人するまでであれば軽く20年もかけて指導できる訳か。

 私自身、やっとこの〝軸〟を言葉で表現出来つつあると実感出来るようになりましたが…まだまだ表現が甘い、教養が足りないと感じる事が素晴らしい著者の表現を見ると感じますアセアセ

 例えば、養老孟司の『遺書』という本の中で紹介される感覚所与という言葉。どこに書いたか忘れたけど、ネットで触れる様なものより一次情報に価値があると表現したけど、能動的に検索するという意味ではネットで触れる情報も一次情報に近いのでは?と書き終わった時点で密かに疑問に思った。その場は、書き流したけどガーンこの養老孟司の使う感覚所与という言葉を使えばそれは五感を使って感じたものではないのではっきりと区別出来る。

先ほどの外山滋比古先生なら、頭の中の世界を第二次的現実と表現している。

 言葉の表現者として、やっと入り口に立てたのかなぁ、なんて思うぼけー

 別の本では外山滋比古先生は「本の知識が役立つのは30代まで」と述べております。というのも、私の解釈になりますが、本で得た知識を消化・吸収して自分で考えて行く知性が必要というのである。

 そういう意味でも、こうやってブログで日常の事から気付いたことを考えアウトプットしていく事で自分の頭の中を表現出来る訓練になっていると考えます。