「やってみなければわからない」なんて言葉は、遠い古い昔の言葉なのだろうか?えー?

 以前『ブラッシュアップ』のブログの中に書いたが、娘を通して今の子ゆとり世代や、悟り世代と言われる子どもたちを掘り下げて考えてみる。

 娘が、ポツリと言った事である。同年代のダンス部が一躍、お笑い芸人のバックダンサーやハリウッドの公式応援団だかに選ばれたのを知ってるだろうか?「いいなぁ、才能があって。めっちゃ羨ましい。」

 色々な事でそうだけど、やる前から「やれ傷つくのが嫌だ。」「しんどいのが嫌だ。」情報に晒され過ぎているせいか、そんな情報だけやらない事を選んでいるのは他ならぬ自分である。

 例えば、安全と一言で言っても…家に居たら安全?家に居たら地震が起きるかも?隕石がおちて来るかも?雷に二回うたれた人間だっているんだから、自分だって一回くらいは当たるかもしれない。いや、雷はさすがにないとしてもトラックが家に突っ込んでくるくらいはあるかも…。いやいや、強盗とかの方が…。

あーだ、こーだ言って極力リスクを避ける。確率という名の可能性を考える。

この確率の実験家はカタストロフすると『攻殻機動隊』で表現されていたが、まぁ正しいと思うぼけーだって何も出来なくなるもん。あれをしたら…こうなる確率が…。これをしたら…こうなる確率が…。

 情報の表層しか知らないから娘のような言葉が出てくる。当たり前だけど、それこそ高校レベルのダンス大会では賞を取るくらい努力をしているし、そこでチャンスが巡ってきたのを掴み取れるだけの努力をしてる。才能や幸運だけでなんて何も頑張ってなかったやつに言われたら腹が立つか、いっそ哀れに思うのかなえーん

 こういう娘のような考えは後天性の教育環境が影響しているらしいけど、家族がどうのこうのというわけではなさそうな気がする。「お前なんかに出来ない」なんて言葉は一度たりとも言ったことはない。

 薄っぺらい情報が多すぎるんだろうね。

でも、今も昔も私は一次情報に価値があると思うんだけどねねー失敗から学べる事もあるのに、学ぼうとしない、逃げる、先送りにするからずーっと弱いまま。足を使えよ、頭使えよ、動けよ。

 意外と高校生くらいの年代だけじゃないと思うけどショック