昨日、職場で『神様のカルテ』を観ました。最初の作品の方ですニコニコ

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 (櫻井くん若いし、宮崎 あおいちゃんのほんわかしたハル役は素敵ですね)


その中のワンシーンで、(ニュアンスですいませんがあせる

イチ「ハル…。ハルはなんで写真を撮るんだ?」

ハル「私の仕事は、イチさんと違って寒さをしのげる訳でも無く、お腹が満たされる訳でも無く、別に無くっても誰かが死んでしまう訳ではありません。でも、この一瞬を誰かと共有出来たら誰かの心を救う事が出来るのでは?そう思うのです」

 といった、やりとりがあります。

 先日、職場の同僚の方の話しを聞いていた時に特に引っかかっていた言葉。「私たちが医療人として、それはその人にとってのニーズなの?デマンドなの?」と電話口の相手に話しておりました。

 どうしても『医療』というとインフラのように考えられて、デマンド色が強くなってしまいます。これは、皆保険制度という法律があり日本人はみな平等に医療を受ける権利があるからだと思います。でも…

 例えば、血まみれで死にかけてる人がいたら…そりゃあ医療人でなくても助けますわな真顔

 では、身体的にはどこも問題なく精神的に異常がある場合はどうしましょう?

 例えば認知症。「私は何でも出来る。」と言っている方に施される医療はないのか?社会資源はないのか?という話になります。

ちなみに前者がニーズ、後者がデマンドになるのですが…実際問題はそんなに綺麗に切り離されるものでは無く、『社会的入院』という言葉があったりと核家族化や高齢化が進む世の中で病気である本人以外のための医療もあったりするのですうーん

 「病院も(顧客である患者に)選ばれる時代が来た」なんて言われていますが、現場レベルではそんな事は無いしょんぼり従業員レベルでは、やれ給料が少ない、仕事量が、福利厚生が…なんてあいも変わらず言ってるのです。それでも流れるように患者は来ます。診療科目の種類であったり、医者がした手術の件数(実績)、口コミなどなど涙ぐましい努力を経営陣がしているおかげで。従業員は、1つの更新制もないライセンスにのうのうとあぐらをかいて最低限の職務を果たせると…「私が何年この仕事やってると思ってんねんビックリマーク」と威張り腐っているにやり経営者は言わない。「必要最低限の仕事してくれたおかげだよ。見合った対価だから給料少ないんだよ。嫌だったら他所いきな。」なんて(笑)

 自転車の相方の様に、モチベーションを高める為に勉強する人もいるけれど…職務を果たせる必要条件さえ満たせば、努力をしない方も多い。お役所仕事なんて言葉があるが、デマンドの仕事はニーズがあったとしても規定以上の仕事をすると職場環境に責められる。

 『神様のカルテ』の中で要 潤は「ひとりの患者に入れ込み過ぎるな」と辛辣にイチに助言している。

 私は自分を変わっていると思うびっくりデマンドの仕事なら当面は食いっぱぐれはない。でも、私はニーズを探し、ニーズに答えられる仕事がしたい。それは、山を登る過程に似ていると思うから。向上心を持って進んだ先に、みたい景色がみれると信じてるから。リスクも含めてすべての責任は自分にあるから。でも、ワクワクする。山はきっとどこまでもあって、ずっと成長出来るから。

 平地にいる人は、自分がいる地は安全だと思っている。平地には津波が起こったり、地震が起こらないとでも思っているのであろうか?

 第四次産業革命では、人間では無くAIの時代が来るそうな。のうのうと草を食む囲われた牧草地で安全に生きているだけの人間に生き延びる術はあるのだろうか?