私が20歳頃、JICAと似たような組織で海外交流事業といったものに参加した際の同じグループのチームリーダーの話です。
自分とは一歳しか変わらないですが、『高校では生徒会長してました』、『ボランティアやってます!』みたいな人でした
私の考えでは、人を助ける事が生業の人と、片手間でボランティアをやってる事を前面に出してる人と比べると、日常的に困ってる側の視点からすればいつでも助けは欲しい訳で…前者の方が素晴らしいと思うのです。(ボランティアが悪いと言ってるのでは無く、世のため、人のために無償で奉仕してますって言いふらすのは自分の社会的欲求を満たすためじゃね!?)って事です。
そんな彼に、ホームステイ先のNZでリードクライミングを経験した話を興奮して話した時のことです。自分の握力が切れて、恥ずかしい話ですが命綱にしがみつこうとしてしまう私が酷くちっぽけに感じた事を話しました(ほら、二十歳くらいって向こう見ずなところがあるでしょ?
)普段は死ぬ気で〜とか思ってても、無意識の領域では自分の命がかわいいのです
それでも手が届くか届かないところの壁に立ち向かって手を伸ばす事を「人生に似てるよね」って私が言うと…全てのスポーツに言えるしと一蹴されました。(て、テメェ、全てのスポーツしてそう感じたのか?運動音痴くさい顔してよく言うな
)と若かりし私は思ったものです。
話は変わりますが…
ロードバイクの他に冬のトレーニング方法としてボルダリングを始めて一カ月になりました
超が付くほど無愛想な店長にも、日々の練習が認められてか?練習会や外岩登りに行くといいよと声を掛けて頂ける様になりました
まだ練習会の参加は2回目ですが、昨日も頑張ってきました。腰痛がヒドいのに嫁にはアホかと睨まれてます
ちなみに一緒に練習してるのは、経験半年の小学二年生の男の子とそのパパさん、あとは年齢不詳の経験一年の練習週7というお姉さまです。言わずもがな、一番私が下手くそです
きっぱり
練習会では、課題が与えられそれにみんなで挑戦するっていうものなのですが…
小学生の子が店長から受けていたアドバイスです。
「何通りかのイメージが立ったら行かな。20分も30分も考えても一緒。やってみてその中からまた問題が出てきて思う様に行かなかったら、ルートや、手順を考え直さなあかん」
「何回も挑戦して、クリア出来たって事は、今の能力で最初からクリア出来たって事。大会出るんだったら、1回目でクリア出来るようにせな点数が全然違って来る」
「今、なんで左手でホールドを取りに行った?ゴールから逆算してみたらそこは絶対右手でないといけないはずや」
「課題のコースを遠くから見て、全体像をつかむとボヤーっと浮き上がって見えてくるやろ?そこに自分の分身を登らせてみるんだ」
などなど。
これを、やっぱり自分は人生に置き換えて考えてしまうのです
計画→実施→検証・修正→リトライ
慎重な計画。予期せぬ事への地力の大切さ。予測。鬼気迫る状況でもなければ真剣味が生まれにくい人の心の弱さ。
目標からの到達課題、サブゴール
俯瞰する大切さ、想像力、自己認識力
もっと色々考えられるかもしれません。
もちろん、店長は私に向けても言ってるんでしょうからそれはやはり耳を傾ける謙虚さなんてのも大切でしょう。
こんな時、今の私はラッキーだなぁと思えます。
海外交流事業のリーダーと出会った頃には素直に思えなかったことも、今ではあの頃はまだまだ人間出来てなかったんだなぁと。当時流行っていたあの番組の様に
フェイスブックで教育の分野で今でも頑張ってるメンバーや、英語が一番下手くそだった女の子が外国人と写った写真をトプ画にしてたりするのには…やはり自分も国際的な活動がしたいと憧れる反面、今の仕事に就いた時にせめて自分の手の範囲の届く人だけでも守れたらと願ったジレンマは感じますね
おわり
