ブログを始めて3日目、そして3回目の投稿となる今回は少し受験から離れることにする。
今回のテーマは「多様性」。そもそもどうしてこれを書こうと思ったかというと、最近、除夜の鐘に対する苦情問題、さらに川崎市のヘイトスピーチに対する問題など、多様性に関係する話題が多かったからだ。
というわけで多様性について考えたいのだが、そもそも多様とは何ぞや?という話になる。辞書で調べると「いろいろな違った様子」とある。つまり、いろいろな違ったものがともに存在している状態が多様であり、多様性といったものなのだろう。
ここで、多様性の原義を再確認した上でもう一度最初に挙げた数々の問題を見ていきたい。まず最初に、除夜の鐘について。除夜の鐘を鳴らすというのは日本の文化として間違いはないだろう。ここに、最近苦情を入れる人がいるという。これについては全く問題はない。なぜなら、多様性を表すそのものだからだ。(内容を肯定するというわけではなく、存在論としてだ。)問題なのはここからだ。「寺が苦情を受けて除夜の鐘を取りやめる」
これは多様性という観点からして全く良くないだろう。なぜなら、多様性とは異なるものが同時に存在している状態であり、異なるものである要素の一つが消えてしまったら、多様性は失われてしまう。ということは、多様性という観点からして寺は除夜の鐘を続けるべきなのである。
次に、川崎市のヘイトスピーチに対する問題。これも同じく、ヘイトスピーチが存在することについて悪とは言い切れないだろう。(内容を肯定するというわけではなく、存在論としてだ。)だが、これを規制することについては問題がある。なぜなら、先程と同じく、多様性を構成する要素の一つが消えてしまうからだ。
以上が僕の見解なのだが、皆さんはどうだろうか?多様性というワードを今一度考えて欲しい。