最近、King&Princeのファンだと言うと「3人と2人に分かれたよね」と必ず言われる。「どっちのファンなの?」「気持ち、複雑じゃない?」とも。
確かに、5周年を迎えた頃はとても複雑な思いだったし、しばらくは辛くて過去の音源を聞けなかった。でも、私は元々れんかい担(海人担)だったので2度の脱退騒動も正直言って【どちらを応援するか】という選択はなかった。そして、6人全員を応援する気持ちは変わらない。
そして、最近になって「今の形はKing&Princeとして最善の選択だったのではないか」とすら思うようになった。
過去の映像を見ていると、なんだかチグハグなのだ。
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若手なのに、圧倒的オーラと実力がありすぎる。
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ジャニーズなのに、アイドル以外の能力も高すぎる。
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実力はあるのに、機会に恵まれない。
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少ない機会で爪痕を残すと、「事務所から無駄に推されている」と他担から不平が出る。
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経験は少ないのに、”どう見せるか”の理解が進みすぎている。
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入所からデビューまでが周りに比べて短く(最近のデビューが遅すぎるんだけどね)、デビュー順が後の先輩がたくさんいるというねじれの状況。
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ジャニーズ内の交友関係があまり広くないメンバーが多く、事務所内でも妖精みたいな感じになってしまっていた。
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各々の能力が飛びぬけて高いがゆえに、グループとして不安定なように見えるのだ。もちろん今だからそう見えるのだろうけど。
- 平野紫耀は、あまりにもスター性が強すぎた。彼はジャニーズ、いや日本にいるには少しフィールドが狭すぎる。彼のポンコツな一面も含めて、もっともっと輝ける方法がある。多分彼も律速になっているのが事務所の売り出しであることに気付いていて、もどかしさを強く感じていたのではなかろうか。自分はもっとやれる、アイドル以外の路線もできると。それでもアイドル前提の芝居仕事が多く、主題歌も王道ラブソングになりがち。自分はキラキラ王子様なんかではない、そんな思いでどんどん難易度の高いダンスナンバーに挑戦していたような気がする。そして、「アイドル」というバイアスのかかった自分をファンに届けることに一番疑問を持っていたのが彼だったと思う。「キラキラさせてもらって輝いている姿だけを届けることは騙しではないのか」という疑問を常に持っている人だった。だから、自分のありのままの状態で、全てをさらけ出して、それでも好いてくれる人とつながっていたかったのだと思う。彼にとってファンは消費者でもなく妄信者でもなく、自分と対等に歩んでくれる人でいてほしかったのだろう。
- 神宮寺勇太は、あまりにも創造性が強すぎた。L&のLaugh &…の圧巻の布演出が最たる例だと思うが、Mr.5では時計、Made inではブランコと、毎回「King&Princeらしさ」と「独自性」を究極的に追い求めた演出を思いつく人だった。コンサートという利益率の低いイベントに際してあのレベルの演出をやらせてくれるのはジャニーズだけだと思うので、正直彼はジャニーズに残って松潤のような演出組に入っても良かったとは思う。でも、彼の中にはおそらくいくつもの世界を持っていて、演出の時はその一部をこの世界に疑似的に具現化していただけなのだろう。ジャニーズにいる限り、彼の表現は「アイドル」の域を出ることができない。表現者として、もっと自由に彼の世界を共有したいという思いがあったのだと思う。彼がジャニーズの「アイドル」像を破壊するという展開も期待していたが、紫耀くんの言葉を借りれば「できないって言われたら仕方ないよね」に尽きるんだと思う。もちろん、彼が言った「誰かが辞める時は、僕が辞める時です」という言葉も真実だろう。彼の作り出す世界は、5人(きっと彼の中ではいつでも6人だったはず)でないと成立しないものだった。誰か1人でも欠けるなら、もう彼にとってそこは表現する場ではなかったのだろう。
- 岸優太は、あまりに純粋すぎた。彼は入所当初から佐藤勝利、ラブ、Princeと圧倒的王道ジャニーズメンバーと仲が良く、元来真面目な性格ゆえコツコツと仕事を重ね、評価を上げてきた。それが評価されにくいのがジャニーズの良いところでもあり、悪いところでもある。彼の努力量は人並みでないのに、それを活かす場があまりにも少なかった。演技はデビューから5年でナイトドクターとすきすきワンワンくらいのもの。ドリボも2年だけ。ジャニアイも2年くらい?SHOCKに拾ってもらえた時は本当に報われてよかったと思った。光一くんは、テラやまつく、岸くんのような”努力が見過ごされている人”にスポットライトを当てるのがうまい。努力に比例したその実力は、間違いなく正当に評価されるべきだと思う。本当は、ジャニーズできちんと評価されている岸くんを見たかったけれど。
- 永瀬廉は、あまりにも賢く、視野が広すぎた。きっと脱退組3人の気持ちも痛いほどわかっただろう。それでも大好きな兄貴たちと一緒に脱退しなかったのは、誰よりも「ファンの目線が分かってしまった」から。ここで5人とも退所して解散してしまったら、ファンはどんなに悲しむか。今まで積み重ねてきた思い出をリセットしてまで5人で活動する道を模索するのか。それよりも、自分が残ってKing&Princeを続けることの方が、ファンの心の拠り所を守ることに繋がるのではないか。そして彼が最も重視していたのが、「まだファンの子の声聞けてない」。正直これを聞いたときは涙が止まらなかった。クールに見える彼だけど、誰よりもコンサートでの声援を楽しみにしてくれているアイドルだと思った。Made inで有観客無歓声のライブをやって痛感したのだろう。歓声の音の圧が自分にとってどんなに大切なのか。それはそのまま彼にとってファンの大切さを表現していたのだろう。色々な人の視点に立って考えられる彼は、とても賢いし、優しい。それでも、時折見せる一面からはその優しさを自分に向けられているのかすごく心配になることがある。限界まで頑張ることのかっこよさを知っているから、どこまでも自分を追い込む癖がある。自分が重荷を引き受けてファンが救われるなら、迷わず自分に課すタイプの彼。ファンとしては、一緒にその重荷を背負わせてほしいと願うばかりだ。
- 髙橋海人は、あまりにも優しすぎた。大好きなお兄ちゃんたちが脱退すると聞いて、きっと一度は自分も脱退する道も考えたはずだ。彼は元々ダンサー志望だったから、一緒に脱退した方が踊りを極められる道は拓けるというのも事実だったと思う。一方で、自分が決断するより早く残留を決めていたであろう廉くんを1人にしておくことは彼にはできなかったのではないか。そういうと、なんだか消極的な選択のようにも思えるが、決してそんなことはない(と思う)。彼は、人のことを考えながら自分の責任として選択できる、そんな男だ。そして、誰よりも”相手の幸せを考えられる人”だ。3人の脱退は引き留めたかもしれないけれど、最終的に「3人がそれで幸せになれるなら」と送り出すことを決めた。きっと、「俺らも幸せになる。お前らも幸せにならねえと許さないからな」と号泣したんだろう。残る2人で、「どうしたらファンを不安にさせずに幸せにできるか」をたくさん、たくさん話し合っただろう。兄組の幸せ、廉の幸せ、ファンの幸せ。それらを総合的に考えて、「できるかわからないけど、やらないでKing&Princeを放棄したくない。2人でやってみてダメなら諦められる」と2人で決断して負ったんだと思う。誰よりも「幸せが似合う人」だ。
- 岩橋玄樹は、あまりにもアイドルでありすぎた。自分自身がどう見られたいか、実際にどう見られているか。そういうことを一番敏感に感じ取っている人だった。周りからの期待も感じ、自分のやりたいことなのか、周りがやらせたいことなのか、どんどんわからなくなっていったんだと思う。いわちというかわいいアイドル像に押しつぶされそうになってしまったのではないか。自分が自分であるために、彼は離れて正解だったのかもしれない。ソロコンでの自由な立ち振る舞いを見て、彼を縛り付けることはできないと痛感した。彼がやりたいようにやれていることが何よりも彼を輝かせている。期待を自分への重荷として変換してしまう彼にとっては、休止期間中のファンの待望すらも重かったかもしれない。今は好きなように好きな歌を歌えているといいなと、心から思う。1人でも十分やっていけるくらいに君は強いよ🍀おそらくケンティー路線で行きたかったのではないかなと思うけど、ケンティーはきっと「ありのままのケンティー」と「Sexyケンティー」を使い分けている。玄樹くんは、使い分けるとかなく、ずっといわちでいたからこその弊害だと思う。(全力で褒めてるよ!!!称えてるよ!!!)
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今までは偶像としての一面を強く見せてきた彼らが、2人になって「人間性」を売り出すようになったという皮肉
特に最初の1年は、「大丈夫、一緒に歩んでいこうね」というメッセージが強く感じられた。なにもの、ファンミ、アルバム「ピース」、アリーナツアー、打ち上げ花火。彼らはデビューして5年間、ずっとトップスピードで走り抜けて世界一を目指してきた。でも5年目にして体制が変わったとき、一番に大切にするものが「世界を見据えた活動」から「ファンを置いていかない、寄り添う姿勢」に変わったんだなと強く感じた。皮肉なことに、紫耀さんが見せたかったアイドルとはこういうものだったのではないかと思ってしまった。でも、彼がいる限りキラキラスターダム駆け上り系アイドルになることは否めない(スター性が強すぎて)ので、全力で矛盾している。彼はこれからアーティストとして活動していく限りそのジレンマと戦い続けるんだと思う。
2年目にコンセプトアルバム「ReERA」がリリースされ、アリーナツアー→ドームツアーが開催された。この頃から、「一緒に歩こう」から「一緒に旅をしよう」にメッセージが変わってきたのを感じた。彼らの作り出す世界に一緒に旅をして、主観的な思い出をたくさん作っていこうね、と。以前の彼らのコンセプトアルバムは「見たことのない世界に連れて行ってあげる」というニュアンスを強く感じた。ReERAの独創的な宇宙的な世界観は、打ち上げから出会いから、全ての体験を一緒に味わってくれている感じがした。一緒に旅をしながら世界を完成させよう、という意図があったように思う。
そして、STARRING。ここまで来ると、彼らはファンに対して「僕らのやりたいことを一緒にやってくれる」という信頼を持ち始めたような感じがする。コンセプトが「仮想世界」から「実世界」に移行したことも、ひとつの信頼だと思う。仮想世界の方が一見トリップが難しそうに見えて、現実世界の中の設定を理解させる方がよっぽど大変でハードルが高いからだ。現実と虚構の境目が曖昧で、だからこそ精工な作りこみを要求される。細かな伏線を丁寧に理解し楽しんでくれると期待して、今回のような手の込んだ世界を作り出してくれたんだろう。
- “史上最高難度のダンスナンバー”という宣伝文句が消えたこと
Naughty girl, Mazy Night, Bounce, Magic Touch。彼らは毎年のように、「史上最高難度のダンスに注目してください」という楽曲をリリースしていた。NaughtyやMazyはわかりやすかったけれど、Bounceが史上最高難度?というのはきっと最初に見たら全員が思うやつだった。でも、あれは武者修行を観るとわかる通り最低限の動きを最高に合わせないとカッコ悪いのだ。洗練された難しさがあった。
彼らのダンスがあそこまで完成度が高いのには理由があった。まず、5人のうち1人で歌うパートが非常に多かった。歌う人は動きを最小限にし、その1人を支柱(重心)にして残り4人が激しく踊る。まず全員の歌唱力が高いからできる芸当ではある。歌う人が変わればまた重心が移動し、別の4人が踊る。歌っている人は基本あまり軸をぶらさずにいてくれるので、非常に見ていて安定感のあるフォーメーションだった。また、世界に挑戦していく分野として最高難度のダンスとレベルの高い歌唱、そしてキラキラ王子様の対比。キラキラ王子様は世界に通用しない、と思っていた所は否めないと思う。ダンスで世界に挑もうとしていた彼らが、Travis Japanがダンス留学をしたときは本当にうらやましそうだった。でも同時に、TJのような道を歩む怖さも感じていたように見えた。本気でダンスで評価されに行って、順番が付けられるという怖さ。
でも、2人になって「踊る曲もあります。踊れなくなったと言われたくないからね」と言ったことはあったけど、ダンスの難易度を宣伝することってなくなった。多分、5人の(特にしょうかい)武器はダンスで、ダンス動画で世界に届けていきたいと思っていたんだと思う。歌は日本語で日本人受けするものが多かったから。2人になって、目的が「世界に届けること」から「ティアラに向けたメッセージ」に変わったんだと思う。自分たちのありたい姿、届けたい景色、そんなものを彼らなりに全力で込めた楽曲に変化していった。だから、ダンスの難易度ではなくて楽曲に込めた思いや背景を宣伝するようになっていったのだと思う。SPOTLIGHT、Theaterなどで評価されて始めたのが、嬉しくもあり、ここまでの道のりを考えると少し皮肉でもあり、、、
- 私たち、ファンができること
まずは、彼らを全力で信頼して、並走することだと思う。以前の彼らは「俺らが世界獲ってお前らにも世界の景色を見せてやるよ」という気概で常に前を走っていてくれた。でも今は、代表取締役社長として、アイドルとして、そして2人の人間として、一緒に新しい景色を見たい、作りたいと思ってくれている。私たちは受け取り手としてではなく、一緒に彼らの新境地を開拓して、一緒に成功も失敗も楽しんで、温度感を共有できるファンとして認められているのだ。だからこそ、全力で彼らの作った世界観に没入して、細かな部分まで楽しんで、一緒にその世界の中で遊びまわることができるし、それが求められている。
私たちは、彼らの後ろではなく隣で同じ光景を共有できる相手として、まずは全力で楽しむ。彼らを肯定する。もし彼らが落ち込んだときに、すぐそばで照らす光になれるように、一番近くにいられるのが今の彼らと私たちとの最適解なのだと思う。
これからの彼らとの未来が、楽しみで仕方ない。
「一緒なら、きっと大丈夫」
それを合言葉に、ともに歩んでいきたい。
もず