幼い頃の真夏のある日、父に車でプールに連れてってもらった。

兄弟3人で。

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帰りに父がホームセンターに寄った。

何かちょっとした買い物があったのだろう。

僕ら、幼い兄弟3人は駐車場の車に残された。

エンジンかけっぱなしだったか、

クーラー付いてたか、覚えていない。

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兄弟3人で、後部座席で遊んでいた。

父の車は、後部座席の背もたれを前に倒すと、

トランクとつながっていた。

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僕と弟は何を思ったか、背もたれを前に倒して二人してトランクへ。

そして背もたれがカチャンと閉じる。

灼熱、真っ暗。

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トランク側に残った僕らは、出られなくなった。

姉は幼いからか、テンパったのか、背もたれを前に倒せなかった。

もちろんトランクを開けるなんてできない。

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灼熱の暗闇の、身動きもロクにとれない閉所。

冷静さを持ち合わせていない僕らは、

ただ灼熱地獄の苦しみと恐怖で、

パニックになって「開けて」と泣き叫ぶ。 

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何分後か何十分後かわからないが、

父が戻ってきてトランクを開けてくれた。

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涼しい気温ではなかったろうが、

閉じたトランクの中よりは涼しかった。

しばらくの間トランクの上で、

弟と一緒にヘラヘラしていた。

地獄の苦しみから解放された安堵感から。

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というのが死にかけた記憶。

人生で最も死に近づいた、

最強の痛みの記憶じゃなかろうか。

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この記憶。

すごく抽象化すると

「保護者から目を離されたら死にかけた、」

というパターンが、

似た状況に置かれたときに

激しいマイナス感情を引き起こしてるのでは?

と思い付いた。

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置いてかれた

取り残された

見ていてもらえなくなった

興味を持たれなくなった

注目されなくなった

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みたいな、

自分の存在が他者に認知されなくなった(と感じた)状況で、

この痛みの記憶を投影してるのではないか?

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センターピースで教わった

「つながり感」に関する話で、

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「ヒト(哺乳類)は群れで生きる種族だから、

 群れからはぐれたと感じたときに

 マイナス感情が出る」


みたいなのがあり、それだろうと思ってたが、

この死にかけた実体験も関係あるかも⁉️

というのが今回の気づき。