色々気づきがある、宇野常寛さんの記事から

印象的だった言葉を抜き出します。

 

今日の世界では、経済情報の発信を通して──この二つは、本質的なところで重なり合っているわけですが──世界に素手で触れることができる。少なくとも、素手で触れられるという幻想が共有されてしまっている。しかし、そのためにむしろ自分が触れられる範囲(の狭さ?)や、影響を与えられる力の弱さに多くの人々は耐えられなくなっている

 

SNSやネットが普及して、

バリバリ発信して頑張ってる人たちが

たくさん目に付くようになってますよね。

 

そういうの見てると、

なんか自分が全然頑張ってないように見えたり

すごく弱い存在のように感じられて

焦らされてしまう。

 

もっと発信しないと、

誰にも見えなくなってしまうのでは?

みたいな不安。

 

僕は無職引きこもり生活なので

なおさら強迫観念が強いかもしれません。

 

何かしてないと皆に置いてかれてしまう~

みたいな。

 

でもそんなに発信意欲に溢れてるわけでもないのに

ポツポツと発信したところで

目に付くようなすごい人達ほど

アクセスやらイイネやらがあるわけではない。

むしろ自分の小ささをよりまざまざと見せつけられる。

いいね、アクセス数、ランキング、フォロワー数といった

客観的尺度があるせいで。

 

 

皆発信してるから、とか

誰にも見られなくなるのではと不安だから、とか

不安起因の行動は長続きしにくいし

行動してても苦しさがあります。

 

なんとなく衝動的に発信する、とか

こうなりたい、こうしていきたい、といった

理想が先にある、そのプロセスとしての発信、とか

そういうのなら発信しやすいですね。

 

なぜ発信するのか?

何かしらポジティブな理由付けが

後付けでも何でもできたら

気持ち的にはラクになりそうです。

 

特に、他人との比較でない動機の方が良さそうですね。

 

「人生は(他者との)勝負ではない」

といった言葉も、

他で耳にして印象に残りました。

 

誰かに勝ろうとして

社会的に良い位置につけたくて

みんなに置いていかれまいとして

生きてるわけじゃない。


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