ちょっと前に たまたまBSで

音楽ミステリー紀行 

とかなんとかでベートーヴェンの特集を放送してるのを見つけて、録画したけど見てなかったのを思い出し、見ることにしました。

なかなか中身が濃くて面白かったですわ。

 

 

神格化と楽聖

 ベートーヴェンの音楽そのものが、あまりにも人の心を強く揺さぶり高揚させるエネルギーを持っているがゆえに、彼の母国ドイツでは戦前、戦後通して政治的に利用されてしまったのは必然でしたね。

ヒトラーもカラヤンも自らのカリスマ性の演出に利用した点では同じ。

 戦後の東西分裂時期には、東ドイツでは、ベートーヴェンをあたかも《社会主義の先駆者》としてのイメージを植えつけ、国民の心の支柱として奉り、国家体制の強化を目指したんですね。そして自分達こそがベートーヴェンの音楽の正しい継承者だという自負は相当なものだったらしい。 一方、西ドイツでは絶対的存在だったフルトヴェングラーの後継者の座を狙うカラヤンが、人気の高いベートーヴェン交響曲全曲を録音。録音•映像技術の向上•普及と相まって広く音楽ファンを獲得。楽聖ベートーヴェンと自らの姿をダブらせて

帝王の名をほしいままに。

 

 ベートーヴェンの音楽が与える影響の大きさは、時に魔力にすら感じます。

 

 

会話ノート

 ベートーヴェンが聴力を失ったことにより、日常の会話がノートの形で残されていることは、我々にとっては思いがけない宝物ですね。そのノートを巡るエピソードがミステリアスで興味深かったです。考えて見れば当時の会話がそのまま残っているなんて普通はありえないわけですから本当に貴重!! それを保管していたのが東ドイツのべルリン国立図書館。なんとそれが盗難の憂き目にあったそうで。

 図書館の音楽部長がどうやら西ドイツのスパイとして潜入し持ち出したらしいのです。当時ソ連が東ドイツに対してノートを差し出す様圧力をかけていたらしく、ソ連に流出するのを阻止したとか。

その後他の容疑で捕まったそのスパイ?は消息を絶ったそうです。ちょっと怖いでしょ。

 

 

秘書シンドラー

ところが・・・

 そのノートの中身を吟味した東独学者が、晩年の秘書アントン・シンドラーによるノートの記述の改ざんを指摘した!!
おやおや、これではいろんな逸話も信じられなくなってきます。ノートを元に伝記が出版され、版を重ねる度に改ざんしたとも。このシンドラーという秘書、心の底からベートーヴェンを崇拝していたようで、会話の中身で神格化を助長する記述を加筆したり、多少いけない(^_^;)内容を消したり、とかいろいろが150カ所もあるとか。なかでも演奏速度に関する勝手な加筆は実際の演奏にも支障をきたすこともあったようですね。
 
例として挙げていたのが 
交響曲第7番の第二楽章
 
交響曲第7番は、あの「のだめカンタービレ」でもたびたび演奏されてきた曲です。華やかなオープニングとは一転、二楽章は非常に深い憂いをおびた旋律で(私はこの楽章が大好き♪)、 この曲を特徴づける大事な楽章。ベートーヴェン自身はAllegretto の表記をしています。が、当時開発されたばかりのメトロノームの速さとしては♩=100 がその速度の目安。ところがシンドラーはノートに♩=80 と加筆していました。実際の演奏者が<ベートーヴェンから演奏速度について聞いている>、と主張してもシンドラーは80を譲らなかったとか。

まあ個人的には100より80の方が私はしっくりきます。むしろもっとゆっくりでもいいな。もし作曲家自身が100をよしとしていたなら、曲全体の趣がかなり違ってきます。この曲の初演時には当時としてはかなり刺激的でセンセーショナルだったとの話もあるくらいですから、全体通して速い速度でイケイケな感じだったのかなあ。だとしたらやはり本当は100だったのかな。この部分について言えば、シンドラーの肩を持ちたいくらい・・・ど素人の人間が言うモンじゃないわね。

  ごめんなさ~い

 

運命(交響曲第5番)とか テンペスト(ピアノソナタ17第)とかの表題もこのたぐいの改ざんから来ているらしい。しかしそのまま残ってしまいました。

案外ぴったりじゃん!ってところかも知れない。

 

 

 晩年の、甥カールへの行きすぎた期待と愛情、カールの自殺未遂、カールの入隊・・・とこのあたりは この秋 

ミュージカル ルートヴィヒ で味わった部分そのものです。

この番組では映画「不滅の恋」(1994年)の映像を出していました。そうだった!この映画見た見た。なのに細かいところ全然覚えてなかった。なんでだろう

 ただ、舞台のやや寂しいエンディングより現実は救いがあったようです。

軍人になる事を許したベートーヴェンは、弦楽四重奏曲14番をカールの入隊時に陸軍元帥に進呈したとか。甥をよろしく・・・っていう心遣いですね。

 

 

Bacchus

それともう一つ、ベートーヴェンは結構ダジャレが大好きで、仲間とお酒を酌み交わしながら冗談ばっかり言っていたとか。そんな面もあったんだ。嬉しくなっちゃいません?

やっぱり神格化され過ぎてたのかも。

 

音楽があまりにも素敵過ぎるので、あっちにもこっちにも使われちゃったんでしょうか。

そもそも、第9の4楽章で出てくるシラーの詩

「・・・全ての人々は兄弟となる・・・」

の部分は、お酒を飲みながら仲間と盛り上がり、Bacchus(酒の神)をたたえるモノだったとか。

ベートーベンも仲間とお酒を楽しく飲みながら、みんなで肩を組んで歌おう・・・って言う気分で作ったのでしょう。

あまり、ベートーヴェンの音楽を大きくとらえないで欲しいという、研究者の言葉に少し救われました。

 

思えば2020年、生誕250年記念の行事がかの騒ぎで軒並み中止となり、「歓喜」の真逆の年になりました。

やっと出口が見えた(と言うかもう海外はとっくに出てるのに、いつまで続けるのかな~)今年、

2年遅れながら、舞台や映像で、こうして

Ludwig van Beethoven

の人生に思いをはせる時間を持てて良かった良かった♪