今日の放送の「紀行」で紹介されたところなので、2年以上前にアップしたものをもう一度開いてみました。

ちょうど今日の「青天を衝け」で出てくる飛鳥山の澁澤邸跡地にある澁澤資料館、晩香炉、青淵文庫、無心庵(茶室)跡 などなど散歩して書いたもの。

晩香炉と青淵文庫は奇跡的に残りましたが他の建物は残念ながら先の大戦の空襲で消失しています。

茶室無心庵、ここで慶喜公(先様)の名誉を回復すべく澁澤さんが慶喜公と伊藤博文を対面させた・・・と思うとぞくぞくして来ます。その場面を妄想してはしばし感慨にふけっております。(妄想するのは草薙さんと山崎さんでは有りません。)あのお写真で残っている慶喜公と旧千円札の伊藤さんがじーっと

そういえば慶喜公は後年巣鴨付近にお住まいになった事があったはず。

飛鳥山からかなりお近くだったのは偶然なのかしら?

 

澁澤栄一さん、今年大河に取り上げられて改めて世の注目を浴びるようになりましたが、初めて知ったと言う方も多いようですね。

なぜでしょうね?日本の近代化に驚くほどの貢献をされて、あんなに活躍された方なのに。

 

縁あってご近所さん気分に浸っている私ですが、特に個人的に感謝しているのは、飛鳥山近くの本郷通りにある「一里塚」の二本榎木の植え込みを残す様運動をして下さったことです。

現在都内23区に残っているのは板橋のものと北区のこの一里塚だけだとか。

この植え込みのおかげで広い道路の真ん中に美しい緑地が佇んでいる有難さを日々かみしめています。