毎日、つくづく生きていくのは大変と思うことが起こりますね。

でも、逆に?大変なことを乗り越えていくのが生きていくということだと思えば当たり前なのでしょうね。


先日新聞に曽野綾子さんの書かれた記事を見て、思うことがありました。


私は宗教に縛られる生き方は嫌いで、家は一応仏教徒、でも神道の方が生活に入り込んでいて、神社大好き、という適当な人間です。

でも「神様」とはどこに、そしてどんな姿でいらっしゃるのか?そんなことを時々思います。

ここでいう神様は特定の宗教での神様ではなく、あらゆる宗教を超越・排除した「私の神様」です。


幼少のころから聖書に親しんでこられらた曽野さんは、神は「今あなたが相対している人の中に」居る、という教育を受けてこられたとおっしゃる。神奈川で起きた、残念なそしてとても人間のしたことと思えない残忍な事件も、犯人がもしそうした教育を受けていたら振り上げた刃を下すこともできたかもしれない・・・と。

・・・実際には、この事件にはいろんな原因が複雑にあったのかもしれません。私はそう素直に思えませんが、でも、

「今、あなたが相対している人の中に神が居る」

という感覚は、実はよく思うことなので、腑に落ちたのです。


自分の生き方がこだまのように自分に向けてかえって来ることをよく感じます。

嫌なことを言われたときになぜそう言われるのか考えてみると結局自分に原因があったり、どう見ても共感できない人からも学ぶべき点があると感じたり。わが子が散らかしてばかりで一向に片付けようとしないのも、「ほらあなたがもっと日頃から整理整頓をしていないから・・・」と言われているような気がしたり

   (-_-;)

 

貧しい旅人に身をやつして訪れた人が実は神様だった、というようなお話はよくあることと感じます。


更に、最近思うのは、ちょっとでも高慢なところが出てくると必ずその鼻はへし折られます。

これは恐ろしいほど必ずです。   (あの人も、あの人も・・・でしょう?)

人間の生き方が二極化しているようですね。



いつもいつも人間はあらゆる形で修業をしていく様にできているのですね。

未熟な私の修行もまだまだ続く・・・