こんにちは、なな・エンナです。

 

 

昨日の記事で引用した本『エッセンシャル思考』でも出てきましたが、

「学習性無力感」というものが あります。

 

学習性無力感とは、「自分の行動が結果を伴わないことを何度も経験していくうちに、やがて何をしても無意味だと思うようになっていき、たとえ結果を変えられるような場面でも自分から行動を起こさない状態」のことをいいます。

 

 

https://www.mitsumura-tosho.co.jp/webmaga/kotoba-to-manabi/kodomo-rikai/detail03

 

これ、個人に起こるし

個人に起こると周囲にも伝染するそう。

 

動物でなく人間においては、集団的無力感も起こり、小さなグループが解決不可能な問題に対して無力となった場合に、他のグループさえも解決可能な問題の解決に失敗する。

 

 

 

 「やってもどうせ無駄」を学習してあきらめてしまう。

あきらめている、と自覚があるならまだいい方で、

あきらめている自覚もなく、

選択肢や可能性があることすら頭に浮かばなくなってしまう。

 

こんな状態は……とても悲しい。

 

 

私これ、

地球レベルで地上の多くの女性に起きているような気がします。

 

 

どうせ女は、

身体も弱いし

体力もないし

勉強しても意味がない

仕事もできない

リーダーシップをとれない

メインになれない

主導権を握れない

 

 

そんなあきらめの境地。

 

 

古代から女人禁制の儀式や土地があったりして、

穢れた存在として蔑視されてきた存在。


 

まれに女性の王族とか首長、管理職もいるけれど

比率はごく少ないし、選ばれたエリートとか一部の「バリキャリ」だけ。

 

 

それ以外のフツーの女は

黙って引っ込んで家事・育児をしていればいい。

 

 

「結婚したかった。

子どもを持ちたかったけど

仕事を選んだの」

 

 

「あなたは引っ込んでなさい、

ここは男が表に立つところ」

 

 

仕事をするとしても、

メイン業務じゃなくて補助とかサポート。

フルで働いてもいいけど

結婚したら家庭優先だから、

出世は望まないし

時短・パートのラクな仕事でいい。

働くとしても扶養内で社会保険料も税金も払わず

出来れば働かずに三食昼寝付きがサイコー。

 

 

そんな声を、いくつも実際に聞いてきました。

 

 

 

一部の人たちは

この女性の無力感から抜け出そうとしているのに、

それすらも「フェミニズム」として

何か特殊な思想であるかのように扱われたり。

 

 

今、情報化の進んだこの現代なら

さまざまなモノの見方を分け合って

この「あきらめ」にNOと言うこともできます。

 

 

女性であることで

何かをあきらめたくない。

あきらめてほしくない。

 

また、女性であることを言い訳にして

何かをあきらめるということは、

他の女性たち、後の世代の女性たちの可能性を

閉ざしているということ。

 

 

いかがですか?

あなたは、「女だから」という理由で

あきらめたことはありませんか?

 

 

逆に、「女だから」という理由で

やらなければいけないと思っていることは

ありませんか?

 

 

私、自覚しているだけでたくさんあります!

無自覚なものもきっとたくさんあると思います。

 

 

そんな、とらわれたモノの見方を外し、

自分の本当にやりたいことをして

生き生きと、のびのびと、有意義に

生きていきませんか?

 

 

 

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