こんにちは、なな・エンナです。

 

私の住んでいる地域では

ビンや缶・金属などのゴミは資源ゴミとして

月に一度回収されます。

 

そのゴミを捨てに行く途中、

回収場所ではないゴミ捨て場に

ビンのゴミらしきものが袋に入って

置かれているのを発見!

 

引っ越してきたばかりの人などが

ゴミの捨て方がわからなかったのかなー

ついでに持っていってあげようかなー

と思いましたが、

やめました。

 

 

が、

ゴミを捨て終わって

自宅に帰ってきたものの……

気になる。

 

やはり道を戻り、

資源ゴミ捨て場へ運びました。

 

はあ~~~スッキリ!

 

 

善いことをしたという

喜びもありますし、

単純に、

環境がキレイに整って気持ちがいい♪

 

 

帰り道、部屋着にすっぴん・サンダルで

川音や鳥のさえずりを聞き、緑を眺め

のんびり歩いていたら、

昨年オーストラリアに旅行した時の

感覚を思い出しました。

 

 

のんびり、ゆったり、

地球の上、自然の中で

ともに生きていて

安らぎというか、なんというか

すごく満たされた気持ち。

 

 

通りかかった家の玄関先で

年配の女性が庭に腰かけていて、

おはようございます、と

挨拶を交わすと、

それだけでもなんだか嬉しい。

 

 

「あ~幸せ~」とも少し違う、

すべてがここにあって

わたしも生きている

という実感というか。

 

 

周囲のもの・人、過去の経験、

思い描く未来、さまざまなものが

身体の中で響き合うあたたかな感覚を、

あえて言葉にはせず

じっくり感じながら帰りました。

 

 

「シェアする」とか

「みんなと仲良く」

「ともに生きる」というのは

日本人の昔からのスタンスだし、

今の時代の一つの傾向でもあると思います。

 

 

そこには

「~のためになるように」という

他者貢献の精神が、言語外に

含まれているように感じていましたが

 

そんなことはなくて、

 

それぞれがありのままに存在していれば

風が吹けば桶屋が儲かる式に、

勝手に・知らず知らずのうちに・無意識的に

何かの役に立ったり

誰かのためになったり

していくのかもしれません。

 

 

………

ここまで書いて、思いましたが

 

これはもしかすると、

『嫌われる勇気』で有名な、

アドラーの言う

「共同体感覚」

なのかも。

 

 

 

 

私は物事を深く考えることが好きなタイプで

起きている限りずっと頭を働かせているのが

当たり前、

下手すると夢の中でも考え事したり(笑)

してましたが、

 

最近はあえて、考えたり、

言葉にしないように

してみています。

 

すると、

今まで感じたことのないような

不思議な感覚や豊かな感覚が

いっぱい出てくるというか

天から与えられるというか

やってきて、

なかなか楽しい。

 

思考に偏ってるなーとお思いの方、

良かったら一度試してみてください。

 

 

 

今回も、

何も考えずにぼんや~り歩いてて

感じたことでした。