その後、指定避難場所である小学校へ避難しました。
あの日はとても寒かったのを覚えています。みんな上着なしで震えながらの避難でした。
いつからか雪もちらつきはじめました。
途中で、ガラスが粉々に砕け散っている所や壁などが剥がれたりした建物や先のまがった高層ビルなど見ましたが、
倒壊した建物は、その道中では見掛けませんでした。
避難場所に着くと既に仮設トイレの設置が始まっていました。
小学校の為、保護者の方がお子さんのお迎えに来ていました。
幸いその場にいた人には怪我もなく皆無事で、
とにかくあの揺れから助かったんだと、みんな笑いあったり
寒いのでみんなでくっついて体力温存していました。
呑気に、今まだ15時前かぁなんて、学校の時計を見て思っていました。
本当は「あの時間」で停まったままになっていたのでした。
その間地鳴りとともに何度余震があったか知れません。
携帯電話を持っていた人が「津波警報だって」、と言っていましたが、
そこにいた人達はまだ誰もが、ふ~んまたかぁ、小さいのが来るだけだよね、と話すくらいでした。。
時折ヘリコプターが上空を飛んでいました。今思うと、そこから少し先の「荒浜」へ向かっていたのかもしれません。
そうです、わたしのいたW区というのは、あの、たくさんの犠牲者が出てしまった荒浜地区のある若林区、です。
そのすぐ後、場所によってはもう既に、
あんな事になっているとは誰も思っていなかったでしょう。。
~避難編 終わり~