私の一番辛かった時期は中学2年。

当時あまり知られてなかった心身症

過敏性腸症候群にかかってから

私の人生は大きく変わった。


周囲に迷惑をかけ

自分が発端でいじめられる

悪循環

毎日死にたくて毎日隠れて泣いていた。


周りに本当の意味でわかってくれる人なんて1人もいなくて孤独だった。


高校でカミングアウトをしてから

少し暮らしやすくなって

理解してくれる友人もいた


大学は自由が多くて心に余裕も持てて

気づいたら少しずつ病気が治っていった。


そんな長い心身症生活を終え

社会人になって初めて体調を崩した。


年始明け風邪を貰って

そのまま咳だけが長引き

咳喘息と診断を受けた。

夜睡眠中一番発作が酷く咳で起きてしまうことも何度もあった。


職場も接客業でお客様と密室で関わらないといけない環境で出来るだけ咳をしないようにしないようにと心がけて神経を使って働いた。

それでもその焦りが仇となって症状は悪化し

周囲の人も咳き込む私に大丈夫以上のなんの配慮もしてくれなくて甘えかもしれないけれど

とても苦しかった。


日頃から募っていた職場のやりづらさでのストレスと風邪が咳喘息を招いてしまった。


約1ヶ月心も体もボロボロで

助けて欲しくて何人かにLINEしても 

病院に行きなよ。とわかりきったことしか言わない人もいた。

こんなことでさえ泣いてしまっていた。


薬は即効性を持たずストレスとの戦いで

どんどん悪化し胸と肋骨に痛みを覚え

また病院に行くと

咳き込みすぎで炎症を起こしている

最悪のケースは肋が折れる人もいる。


そう言われた。


私は怖くて

休みに優しくない職場に渋々連絡をした。

診断書がないと休職にはならない。と言われ

仕方なく有給を使う。

こんな時でさえ職場は優しくない。他の会社も皆そうなのだろうか。


病院の先生は診断書は高いからねとか

検査結果の紙に丁寧に病名を書いて

これじゃあダメかな?って一緒に考えてくれた。


でもダメです。そう言われた。


咳喘息になってから

私の辛い人生はまだここにあったんだと

そう思った。

帰宅してご飯が喉を通らず気づいたら泣いていたり

寝る前に明日が来るのが怖くて泣いて発作がでたり

私はどこで道を間違えたんだろう。

誰を頼ればいいんだろう。


親も友達も誰もわかってくれない。

あの頃のように

死にたい。


そう思った。


でも、あの時渋々連絡をし

有給を使った4連休が私の心と体を少しずつ回復させた。

無理しないで、頑張りすぎだから。って言ってくれる人もいた。

今の仕事にずっといなくなっていいんじゃない?嫌だったら辞めなよ。って背中を押してくれる人もいた。


何とか良い方向に体も思考も変わっていってくれている気がして 

たくさんの言葉に救われて

自分をゆっくり休ませることができて

本当によかった。