よく、自分を全て受け入れられたら

全てうまくいく。


そんなことを聞いていて、

「じゃあやってみよう!」と意気込むも

挫折。


それでも

少しずつ受け入れられるようになっては

きてました。


そんな時、モヤモヤしていたら

最近、

立て続けに

全く違う人たちから

(3人!➕YouTubeとInstagram)

ほぼ同じ内容を聞いたから

早速取り入れてみたんです。


そうしたら、

体感がね、違うんです。


だからこれは、真実だな。と思ったわけです。

だから即実践!

そしたら…勝手にくびれができました笑


それはなんなのか?


それは「無」になるということ。

いきなり何?って感じですよね笑


その状態を作るには…


どんな自分も受け入れる。

ということ。


頭では出来ているのかも分からず、

「出来ている」「出来ていない」というそこで

またジャッジが入っていました。


ではどうすれば良いのか。

というより、どういう捉え方をすればいいのか。


それは、

『自分と生きる覚悟をする』ということ。


具体的に話していきますね。


身体、なんです。

私たちは(身体)肉体というものがあるから、ここに存在していますよね。


この身体に対して、何のジャッジもなく、

ただただ大切に愛おしむ。

それができた時、自分の全てを受け入れられるし、「無」の境地にいけてしまうんです。


ごちゃごちゃになってきました笑?


例えば、「癌があり、完治させたい」と望みます。


ただ、です。

ただ、その癌のことを考えるたびに、自分の中で分離が起きているんです。

治したい!でもその状態って強く自分を否定してたんです。


私の全てを受け入れたい、と言っているのに、

この癌が嫌だといっている。


もちろん、嫌なものは嫌。

なんだけど、その部分も自分の一部なんです。


そこですでに前提として、自分の身体に対して、「ジャッジ」しているということなんですね。


とはいえ…

癌があるなんて…そんな自分の一部を好きになれない。


そうだと思います。

でもあなたの身体は、常にこちらの意図をしなくとも、勝手に脈をうち、勝手に消化をし、排泄をしてくれる。


何の疑いもなく、

文句ひとつ言わず、

淡々とあなたの身体を動かしている。


その身体に癌があるからといって

排除しようとする。


そうではなく、

あ、あるんだなと認識する。

そこに不安などは持ち込まなくて良い。

余計な妄想なんていらない。


ただ、ある。

癌がそこにある。


よく「大好きだよ」「愛してるよ」とアファメーションをすると言いと聞きますが、

そう言いながら、心では「この癌が…。」「この足さえ細ければ…。」「もっと小さな顔なら良いのに。」

とチグハグなことをしているってことなんです。


これを聞いた時に、

「まさにそうじゃん!」と思いました。


自分を受け入れようと思いつつ、

身体の部分に不満をいう。


「こうだったら良いのに」と思う。 


つまり一致してないんですね。


だから、その望みなんて叶うわけがないんです。


愛されたいと言いつつ、

自分の身体すら愛していない、部分的にしか愛さないから、

他者からも愛されないし、部分的にしか愛されない。


まさに鏡、です。


ただ、ある。

ただ、存在している。


自分の身体は、自分に何の見返りも求めず、

ただ淡々と動いてくれている。


これが腑に落ちてから、

私のウエストがくびれ始めました笑


いや、冗談じゃなくです。


結局そこだったんです。


プニプニしたウエストが受け入れられなかった。

鏡をみるたびにため息が出た。


そうじゃなく、

ただある。


何の感情も持たずに、

ただただ

撫でていました。


ただ、目には入ってしまう。

そんな時は

別の自分の好きな部分にフォーカスを向ける。

一時的に。


そうすると、

だんだんとぷにぷにのウエストが

気にならなくなってきたんです!


ただ、ある。


それで、以前にバロメータにしていた

ウエストチェーン(っていうのかな?ウエストにまくネックレスのようなもの)を

巻いてみたんです。


以前は無理やり息を吸って止めてやっと入っていたのに…

何と!

まさかの一本指が余裕で入っちゃう〜🩷


そういうことだったんです。


受け入れられないと思っているものがあったら、

一旦置いておく。


そこにフォーカスせず、

ただ、ある状態にする。


そして暇さえあれば

無感情でいいから

触ったり、撫でたりする。


そうしたら、

気づいたら理想の形になっていたり、

そうなるために必要なアイデアが浮かんできて

その通りに進めたら楽に理想にいけるんです。


うまく言語化できないけど、

興奮は伝わるのではないかと思っています。


自分の身体を労り、

ジャッジせず、

ただ撫でる。


それが「無」であり、

「愛」であり、

そこからはどんなものでも生み出せる。


本当の自分の力を発揮できるようになってくる。

自分のパワフルさを身をもって感じることができる。


それってとても

エキサイティングだと思うんです。


受け入れるということ。

ジャッジしないということ。

ただあるということ。

無、ということ。

愛、ということ。

身体からやっていけばいいということ。


これからが一気に腑に落ちた瞬間、

みている景色が

本当に視覚的に変わりました。

色味が変わった、といった感じです。




あなたは自分と生きる覚悟はありますか?


私はこの問いに「ドキッ」としました。


でも言いたいんです。

私は私自身と生きる覚悟がある、と。


あなたはどうですか?