2002年4月8日~
・今日から4年生。担任の先生も替わり、クラス替えもあり ちょっぴり不安な新学期。でも、先生は音楽の先生で ハキハキしていて 楽しそう。今日からは一人で学校へ通います。
4月15日
・張り切りすぎて疲れたのか 学校をお休み。ちょっと、左手が・・・・。
17日
・学校早引き。学校の送迎を始める。(1人の登下校1週間だけだった。)
18日
・早引きさせて 一応主治医(Sクリニック)にこの一週間の様子をTEL。そしたらなんと
「今来られますか??」そんなーー、TELした時間が14時。
こんな状態のかっきーを電車では連れていけないし、パパさんは仕事。
かっきーの事も心配だから パパさんの職場にTEL。帰ってこられるそう。
14:30に家を出て 帰ってきたのは21:00・・・・・。疲れた。
ここの病院は一人の診察に1時間くらいかけるのです。(脳外科ではない)
具合の悪い患者さんには 2人の先生が見てくれる。でも、連続して2人の
先生に見ていただけるわけでは無いの・・。それがちょっと、ネック。
「様子を見ましょう」と言う、診断でした・・・・・・・・・・・・・・・・。
5月22日
・社会科見学。かっきーたちはバスで移動。私は自家用車で追跡!!
何事もなく終わりました。
6月4日
・(連絡帳の 私の文より)
『おはようございます。最近右手が?のことがあります。連絡帳・作文を見ても
4月の連絡帳の文字とだいぶ違います。ですので、リハビリをしていたときの
鉛筆に付けるキャップを持たせます。』
☆ 本当に6月の初めから 左手が良くなり、右手が動いてしまう。文字も6月中頃には判読不能になってしまっていた。連絡帳も書くけれど読めなくて先生がその後に代書してくれる始末。でも、まだこの頃は何となく文字の形をしていたから 良かったのです。
6月の初めから水泳が始まりました。かっきーは プールが大好き。2年生の時にプールへ入ったのが最後なので まだ泳げません。でも、「けのび」や「だるま浮き」は大得意!かっきーに水泳の時間を見学させるのは可哀想なので 私がプールサイドで待機することになりました。6月の初めで パートを辞めました。仕方ないですよね。☆
6月28日
・今日から休み時間ごとの学校待機を始めました。車で10分かからないので
通います。本当に不随意運動が出てきてしまいました。足も手も・・。
クラスが3Fで、階段の踊り場にトイレがあるため どうしても階段を使います。
階段を使うことさえ もう危ないのです。
7月1日
・もう字が読めません。ピッピッとなってしまって 手が安定しません。
線だけの文字です。幼児の字より わからないかもしれない。
連絡帳も 先生が全て書いてくれるようになりました。
☆ でも、授業には出ています。プールも喜んで入っています。私ががいつでも飛び込める体制で・・。
給食のお箸も 使えません。スプーンとフォークを持たせました。期末テストも 書けないので 時間があいている先生が かっきーの隣に座ってかっきーの言うことをテスト用紙に書いてくれました。私の休み時間待機は続いています。 ☆
7月19日
・一学期の終了式です。まだダメです。去年は「また手術か」と、焦りましたが
今年はまた2学期には復活しているように願うのみです。