百箇日とは

【故人を失った悲しみに別れを告げ、前に進むための節目としての意味を持ちます】とありました

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母が亡くなってから100日。
特に法要などはしませんが
あの日、母の最期を看取ってから
100日が経ちました。


この100日の間
諸々の手続きはもちろん、実家の遺品整理、持ち帰った物で出来た山脈を少しずつ売ったり、私が使ったり。
 

母が好きだったグラウンドゴルフの景品でたまっていたサランラップ(経年で若干黄色いニヒヒ
記憶がまだしっかりしている時に買ったであろう物たち。
とても助かるけれど、母の物が減っていく寂しさもあります。


兄が亡くなってからの母が
仏壇前に置いた兄の写真に向かって
常に声をかけていたことを思い出します。

外出する時も

「お母さん、ちょっと買い物に行ってくるから転ばないように見守ってね」



帰宅すると

「ただいま、◯◯。ちゃんと留守番していてくれた?」


まるで小さな子供に語りかけるように。



ただ


「毎日、お兄ちゃんに話しかけているけど、答えてくれない。
いつもずっと笑っているだけ…
死んだらべーだよ」


その言葉が印象的でした。
死んだらべー?って何??
母が父が亡くなった後から
よく使っていて聞くと


「人は死んでしまったら
おしまいってこと。昔からそう言われていたんだよ」


ふ〜ん。。


でも
母が亡くなって、私もその気持ちが理解出来るようになりました。


どんなに写真に話しかけても
返事はないものね。
母との時間は兄より密だったので
余計感じるのかも。



百箇日。
泣くことはそんなに無いけど
ふと声に出して


「おかぁさん!」


と呼んでしまうことがあります。
もちろん、遺影の母からの返事は
なく、ご機嫌顔のピース姿
でも、この写真にして良かったな、と今はつくづく思います。
つい、つられて笑ってしまうから。


もう会話は出来ないけれど
母自身はあちらで兄と再会して
幸せなはずだから
それでいいんじゃないかと思うようにしています。


随分若いお父さんにも会ったのかな
父も兄も50代で母だけ80代
私はいくつで合流するのだろう口笛

 



上矢印
これは実家の玄関の靴箱上に
置いてあった母のカギ。
小皿をカギ置きにして
金色のカエルの鈴がついていました。
カエルだったんだと亡くなってから気付いたアセアセ


「無事に帰れますように」ってか?


コンビニに行って転んで帰って来られなかったのだけは残念だったね悲しい
カエルの力、及ばず。。


認知症が進んでからは
カギを差しっぱなしで美容院へ
行ってヘルパーさんから
私に連絡が来たり
 

早朝、病院付き添いで実家に
行った際に差しっぱなしに
なっていたこともあったっけ。
何事もなくて良かったけど
そんな思い出のあるカギ。


この鈴の音を聞くと

「あ、お母さん帰って来た!」

と思ったものです。
今はお骨の横に置いてあります。




不思議なこともあります。
ふと母の匂いがする時があるのです。
甘いような、何とも言えない匂い。
母の衣類の匂いなのか。
そんな時は


「お母さん、そばに来てくれてるの?」と嬉しくなります照れ



亡くなる5日前の面会時


「女の子はいいね。いろんな話が出来て。こんなことも思い出になるんだね」と言った母。


この言葉が忘れられません。
いつも兄のことばかり話していたのに、私への置き土産的な言葉だったのかな
とか書いていたら涙が…泣泣


いくつになっても私は母の娘。
変わらないからね。



さて、また前に進みますか。
4人家族で最後に遺った者として
やることがまだあるから。




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