兄が亡くなって今日が3ヶ月目。
「月命日」です。

まだ3ヶ月。
お兄ちゃん、3ヶ月前にはまだ生きていたんだな…
葬儀を終えてもどこか受け入れられずにいて、次々と「死」にまつわる本を読みあさってしまう。

そこで私なりに府に落ちた内容

*寿命とはもってうまれた「宿命」
宿命は生まれる前に決まっていて、自分では変えられないもの。

*人間のたましいは、生まれる前に今生での課題を決めてくる。
その課題をクリアした時に旅立つ

*人生の長短は関係ない
どんな生き方をし、どんなふうにたましいを向上させたかが重要


※遺された者としては※

*その人の亡くなり方には、どんな意味があったのか
*残された私たちに何を伝えようとしているのか
それを読み解く作業も「供養」のひとつである  と。


兄が亡くなるひと月前に、LINEで送られて来た言葉

『将来的にお世話になることがあるかもしれない。その時はよろしくね』

将来的って何を呑気な、とLINEを見て思ったけど汗
「将来的」という言葉は兄が居なくなった後のことだったんだね。
兄は既に未來を見据えていたんだと、今になって思う。
遺して逝く高齢の母のことが一番、心配だったのでしょう…
それはこれからの私の課題だね(苦笑)

 

そして最後になった(去年)兄から私への誕生日メールの言葉

『次の年も確実に成長し、悔いなく生きて下さい』

兄は抗がん剤の闘病中でしたえーん

兄は今生での課題を見事にクリアして、思い残すことなく、やりたい事をやりきって亡くなったのだと思います(思いたい)

体のあちこちに癌が転移して、麻薬の痛み止めを使いながらも、兄嫁Kちゃんと知り合った思い出の地、大好きな北海道へ旅に出たのが亡くなる2週間前。
とても信じられなかった。
在宅医や訪看さんも往路で亡くなる可能性を危惧していたらしい。

北海道で撮られた数々の写真は、ストレスから解放された、子供のような無邪気な表情で見ているこちらも微笑んでしまうくらい照れ

Kちゃん

 

兄のお嫁さんになってくれて、ありがとう。
最後のワガママを聞いてくれて、本当にありがとう。
最期まで兄のそばにいて、看取ってくれて、ありがとう。

お兄ちゃんはKちゃんと出会えて、とっても幸せだったよ。

月命日に深い感謝を思う牛クローバー

今夜はお兄ちゃんが好きだったモルツで献杯するねラブラブ