大変ご無沙汰しておりました。
ご心配をお掛けしてすみませんでした。中々ブログを書く気にならず。
今回の震災により、被害を受けられた方々、ご家族を亡くされた方々に心よりご冥福をお祈り申し上げます。
少々これから長くなりますが、震災により私に起きた身の上話をしたいと思います。
私が住む場所は、福島県浪江町。現在避難区域にある福島第一原発から半径20km圏内にあります。
3月11日震災発生当日、私は一人で家に居ました。その日は天気もよく穏やかな日でした。何をするわけでもなく時間が過ぎ、静かに過ごしていたその時、カタカタと揺れを感じ地震だ!と思った瞬間、もの凄く大きな揺れが来ました。とっさに靴も履かず外に飛び出しミッキー(犬)を連れ出して家から離れました。端から家や近所の家が大きく揺れるのを見て体全身が震えるのと、激しく動悸をしたのを覚えています。携帯も通じず不安の中、母が祖父母、親戚を連れて家に帰ってきました。私の家は町からすぐの高台にあり、広場もあるのでその日の夜は皆各々車内で一夜を過ごしました。車のラジオを頼りに情報を得、信じられない被害状況をずっと朝まで聞いていました。その時はまだこれから起こりうる惨劇をまだ知るよしもありませんでした。
朝日が昇る頃、浜の近くにある祖父母、親戚のある家を見に行こうと車を走らせると、道路は陥没、家屋の倒壊が目立ちました。祖父母の家は倒壊はしていないものの半倒壊に等しく窓枠が外れ、とても住める状況ではありませんでした。次は親戚の家を見に行こうと海の方向へ車を走らせると、祖父母の家から数メートルもしない直ぐのところに波が引いた跡があり、進むと一面瓦礫の山でした。海までずーと瓦礫の山。勿論親戚の家も流されました。津波が集落一帯を飲み干していました。現実とは思えない惨劇に落胆とショックを隠せません。取り敢えず我が家に戻ろうと町中を走っていると、やけに車が山に向かっているのを不思議に思い微かに聞こえる防災無線に耳を傾けると緊急避難命令が発令されていました。福島第一原発から半径10km圏内の浪江町住民は直ちに避難して下さいと。大パニックに陥った住民とそれを追うように私達は何も持たず、ただ携帯電話と少量の所持金で大渋滞の中町を逃げ出しました。避難指定場所に着くと沢山の住民でごった返しでした。この時点で親戚とははぐれ、私と母とミッキー、祖父母と飼われている犬とで2台で行動していました。私達はまさか避難といってもほんの数日で帰れるだろうと思っていました。すると、もの凄い勢いで走り抜けるパトカーから聞こえた声が「原発が爆発したから逃げろー!!室内から出るなー!!」恐怖が体全身を駆け巡り、夢ではないかと、現実に起きてはいけないことが今目の前で起きている。もうここには居れない、逃げろって何処に!!パニックのまま2台の車を走らせ、とにかくなるべく遠くに避難しなければと、頭の中はこの世の終わりでした。
福島第一原発から半径50~60km離れた福島市に知り合いの家があり、突然ながらそちらにお世話になることにしました。そこで初めてテレビで今回の震災の被害を目の当たりにし、身が震え涙が溢れだしました。震災による建物の倒壊、大津波、大火災、停電、断水、それが広範囲であること。日本とは思えない映像ばかり。更には福島第一原発1号機の爆発。まさか地元の原発がこんなことになるなんて、悲しみと恐怖で絶望しました。
なるべくなら県外に行きたかったのですが、祖父母は福島から出る気はないと。80歳手前の2人を置いて私たちは県外に行けるわけもなく、福島に残ることを決めました。離ればなれになることはとても危険な気がして常に4人での行動でした。
知り合いの家に数日お世話になっていたのですが、これ以上迷惑をかけられない、なんせ断水が続き貴重な水や食糧も手に入らず無理くりして出してもらう食事にどうしても手がつけられず。申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそうでした。そんなとき、福島県会津に避難している親戚と連絡が取れ私達は会津に行くことを決めました。知り合いの方々は涙を流して引き留めてくれ、それでも行くと決めた私達に着るものや衛生用品を持たせてくれました。感謝してもしきれません。
会津で数日過ごしたのち、福島市のお世話になった知り合いから、借家を見つけたから戻ってきて欲しいと連絡が来ました。なんて私達は幸せなのだろうと心底感じました。なによりも、犬たちは震災発生から1ヶ月以上車生活をさせていたのでやっと外で過ごさせてあげられることに嬉しくなりました。それから現在進行形で福島市の借家に住んでいます。
原発爆発により今年は家に帰宅することが出来ません。復興も出来なければこれから先住むことが出来るのか、不安で仕方がありません。窓枠が外れた祖父母の家は雨風が入り、放射能で家内は汚染されていることでしょう。
ただ、私達は沢山の助けを受け今の生活が恵まれています。現在も避難場で生活されている方々や、子供に影響が出ないようにと家族バラバラになって生活している方々。津波の被害で家をなくされ帰る家がない方々、震災で家族を亡くされた方々。そのことを思うと胸に針が刺さる痛みが残ります。
私は今、今まで感じたことのない不安があります。
先日、テレビで浪江町町民の一部に土下座をする福島原発の清水社長と幹部の映像が流れました。罵声を浴びせられ、土下座を強いられている映像です。この数秒の映像だけで今、福島県民がバッシングを受けています。
一番ひどいのは浪江町民みんな死ね!と。これはヤフーのニュースコメントに書かれた一部です。
ショックです。
浪江町の一部の住民が、浪江町民全て、福島県民全てを批難の対象にしてしまいました。それをメディアは土下座を強いられている部分をメインに報道し、現場での細かいところを省き私達を悪者に下手あげました。土下座を強いたのも、清水社長達が浪江町長幹部にしか謝罪をせず、帰ろうとしたから。他の町には避難場に出向き土下座をして町民に謝罪をしていたのに。昨日今日までずっとほったらかしだった浪江町は軽く済ませようと思われ町民が怒るのも目に見えています。それに安全性を訴えてきた福島第一原発。今回の震災で、より被害が大きかった宮城県にある女川原発に被害はなかった。それなのに福島第一原発は世界も揺るがす大事故になりました。東電側も、安全性に甘さがあったと認めたのに。今、福島県民が批難を受けています。まだ浪江町民が批難されるのは仕方がありません。仮にも土下座を強いたのは浪江町民の一部なのだから。それが福島県民全てが批難の対象になるのはお願いですから止めてください。只ですら風評被害が酷いのに、更に福島県民を毛嫌いするのは本当に止めてください。これでは県外に出ることも出来ず、県外に生活を置いている福島県民も拒絶されてしまいます。
お願いですから福島県民を批難するのは止めてください。
この惨劇は受け止められません。
この出来事をブログに載せて、批難のコメントが来ないか正直怖いです。書いてよかったのか、更に福島県民に被害がいかないか心配です。
ですが、福島県民を、ましてやこの震災から生き残った人たちに死ねばよかったのに。なんて酷いことはこれから先二度と口にしないでください。
もう一度心よりお願い申し上げます。
福島県民を批難するようなことは止めてください。
お願いします。
この事を伝えたくてブログを書きました。とても長い文章、そして読みづらい文面を最後まで目を通していただきありがとうございました。
もう一つ、被災地に出向きボランティア活動をして下さった皆様、多額の義援金を出していただいた芸能関係の皆様、率先して募金活動や支援物資を送って下さった皆様、心より感謝申し上げます。ありがとうございます。
一日も早い復興を目指して福島県民頑張ります!!