こんな方への処方箋映画
人は生きていると目の前の現状に満足できず、様々な苦悩を抱えるものです。求めて手に入れて、そしてまた求めてと終わりがありません。
この映画には金も女も名誉もない、しがない中年男性、平山(役所広司)が登場します。何も持っていないように見える彼の生活は、なぜか満ち足りています。
この映画を見終わる頃には、終わりのない欲望のようなものがすーっと和らぎ、心の中に静寂が訪れることでしょう。
この映画の始まり
この映画は、本作の企画•プロジュースを行う柳井康治さんが中心になって取り組む「TOKYO TOILET」から始まりました。
東京渋谷区のトイレを素敵にリデザインしようという取り組みの中で、トイレの抱える課題がいくつかありました。そこで、この取り組みを映画というアートとして届けることで、トイレを大切に使ってもらう事に繋がるのではないかという意図の元、企画が始まったそうです。
脚本について
今作の脚本は、ヴィム•ヴェンダース監督と高崎卓馬さんの共同作業によるものです。
高崎卓馬さんは、学生時代からヴェンダース監督に対する憧れがあり、勇気を持って依頼をしたら、監督がテーマに惹かれて引き受けてくれたようです。
最初この映画を見た時に、外国の監督が作った作品でありながら、日本人の心が深く描かれているなぁと感心しました。きっと高崎さんが日本人だったらこうするという部分を、監督と擦り合わせることで、自然な脚本になっていったんだろうと思います。
また、この映画は観る方によっては、説明が少なく登場人物が何を考えているか分かりにくいと感じる人もいるでしょう。脚本の意図としては、第三者視点の説明を入れず、平山から見ているものだけを映すことによって、平山ってどんな人物なんだろう、何を考えているのだろうと想像力を巡らすうちに、彼と観客の感情が同期し、映画への没入感が生まれることを期待しているそうです。
ここからネタバレ含みます↓
平山の静かな日常
映画の冒頭はひたすらに平山の日常を映していきます。
朝起きて、布団を畳んで、歯を磨いて、植物に水をやり、コーヒーを飲んで、好きな音楽を聴きながら仕事に向かう。仕事後は銭湯へ行って、行きつけの居酒屋でご飯を食べて、読書をして寝る。
平山の行動を見ていると自然と茶道が思い浮かびます。
茶道は歩き方から手の動かし方までしっかりと型が決まっており、その型が身体に馴染み、目の前の行為に集中するからこそ、初めて身の回りの小さな変化に気付けるようになります。
平山は日々黙々とルーティーンや仕事など、目の前のことに集中し、小さな物事を感じ取る天才です。
だからこそ、自身の育てている植物を眺めて「成長してるなぁ」と微笑み、木漏れ日を見つめて「美しいなぁと」微笑みを浮かべることができるのかもしれません。
世間ではあまり憧れの職業ではない清掃業ですが、彼にとって仕事内容はあまり重要なことではないような気もします。何をするかより、どういう心持ちで向き合うかといったことの方が大切であり、人の心を満たすのは、ただ目の前のことに身体と心を預けることなのかもしれないですね。平山の生き様が幸福になれるヒントをくれます。
平山と違う世界にいるタカシ(柄本時生)の存在
トイレ清掃でペアを組んでいるタカシは遅刻したり、職場に彼女を連れてきたり、面倒な厄介ごとに平山を巻き込む存在です。
そんなタカシに対して、平山は疎ましく思いながらも、決して突き放すことはせずに、車やお金を貸したり、なんだかんだ面倒を見ます。
自分と全く違う世界にいる人に対して、ここまで謙虚に向き合えるのは平山だからでしょう。
ニコ(中村有紗)の存在
思春期独特の不機嫌さを漂わせた存在で、家出して平山の元に来たため、数日一緒に過ごすことになります。
ニコは「11の物語」という本を読みながら言います。「このすっぽんって話のビクターって男の子…私かもしれない」「気持ちめっちゃ分かるってこと」
「すっぽん」という物語のビクターは、いつまでも自分を幼児のように扱い、人の話を聞こうとしない母との関係に息苦しさを感じています。
もしかしたら、ニコも家庭で同じような苦しさを抱えているのかもしれません。今回家出をするにあたり、真っ先に平山が浮かんだのは、平山と過ごしたこれまでの信頼があったからでしょう。
平山は年の離れたニコに対して、何かを諭すこともなく、説教することもなく、ただただ耳を傾け一緒にいます。一緒に過ごす数日の中で、平山の生きる姿勢や尊重されている感覚が、ニコの中にあたたかく残ったことでしょう。
特に、ケイコに対してニコのことを「いい子だ。」と言うところ、その一言に全てが詰まっているなぁと、平山の人に対する慈愛がたっぷりと感じられて素敵なシーンです。
複雑な過去を連れてくるケイコ(麻生祐未)の存在
ケイコはそれまで謎に包まれていた平山の過去を一気に連れてくる存在です。高級車に乗って鎌倉からやってきたケイコは分かりやすくお金のありそうな匂いがします。
「ホームに会いに行ってあげて、もう昔みたいじゃないから。」このセリフから、平山の過去に何かしらの家族トラブルがあったことを想起させます。もしかしたら、平山は裕福な実家で育ったが、父親の事業を継ぐことを拒否して、自分の好きな音楽の道に進み、父親から勘当されている…なんて背景があるのかもしれません。しかし、映画では最後まで詳細を語らないため、私達に想像力を働かせる余地を残してくれます。
「こんどはこんど、いまはいま」の意味とは
このセリフはニコと平山が自転車に乗るシーンで、リズムをつけて繰り返されます。リズムがついていることですごく頭に残りますね。おそらく監督の伝えたいメッセージはここに詰まっているのではないでしょうか。
平山は常に今目の前のことに集中しています。トイレ掃除の動作ひとつ、日常動作ひとつ、音楽を聴く時、人の話を聞く時、空を見つめる時。私達はついスマホを見ながら、何か他の考え事をしながら、目の前の物事をこながちです。すると、頭の中が常に忙しく、いつの間にか時間が溶けるようになくなっていくことがあります。
今に集中することで、目の前の出来事を解像度高く実感することができ、時間はゆったりと流れ出します。いわば平山は私達とは異なる時間軸の中で生きています。
この映画を見終わった時、心が澄み渡る感覚を覚えました。それはこの映画をみた2時間の中で、私達は平山の感覚を手に入れて、擬似的に平山の頭の中と同じ状態で目の前の映画である「今」に集中し、癒されていたからなのではないかと思いました。
私達に満足感を与えるのはお金でも名誉でもなく、平山のような視点であり、誰でも意識をすれば手に入れられるものであるということ。そのことが私達の人生をよりよくしてくれると思います。
平山は最後、なぜ号泣したのか
皆さんの記憶の中でもっとも頭の中に残っているであろう伝説のラストシーンです。
ニーナ•シモンの「Feeling Good」と共に、平山は嬉しそうに泣いています。これまで感情を表出することのなかった平山の感情が一気に溢れ出すシーンに、観客は戸惑いながらも、胸がじんと熱くなります。
平山はどんな心境だったのだろう。例えば、昨日のナオコとのやりとりで家族との確執だったり、普段は目を背けている事実と直面して気持ちが沈んでいたけれど、それでも自由を選んだ、今は自由だ、なんて気持ちいいんだろう、という開放的な気持ちになれたからなのだろうか、とか想像力を掻き立てるシーンです。見た人によって解釈は全く異なると思いますので、ぜひ一緒に見た人と語り合いたいですね。
ヴィム•ヴェンダース監督って?
ヴェンダース監督は78歳でこの映画を撮影していたようです。この映画に深みを持たせているのは、ヴェンダース監督の膨大な経験と年齢を重ねて熟成された豊かな価値観なら作られた脚本•指導によるものだと感じさせてくれます。
これを機に監督の代表作である「パリ•テキサス」などの他の作品も見てみたいと思います。
役所広司さんの演技がとにかく素晴らしい。これに尽きる。
役所広司さんは本当に素晴らしい俳優さんであることを再認識しました。
ただ嬉しい、ただ悲しいといった単純な感情表現ではなく、色んな感情が複雑に入り混じり、温かみを感じる表現は役所さんだからそこできたのではないでしょうか。役所広司さんがカンヌ国際映画祭で男優賞を取るのも納得です。日本の宝です。このような素晴らしい作品を生み出して頂き感謝しかないです。この作品に出会えてよかったです。