「がんばれ!ベアーズ」第3弾で猪木vs少年野球の異種格闘球技戦! 仕掛けたのは、あの人! | プロレスライター新井宏の「映画とプロレスPARTⅡ」

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週刊プロレスモバイル連載「週モバロードショー~映画とプロレス~」延長戦!

アントニオ猪木の名前を一躍世界にとどろかせたのは、“過激な仕掛け人”新間寿による、モハメド・アリとの“プロレスvsプロボクシング”異種格闘技戦だった。1976年6月26日に日本武道館で実現した世紀の一戦は、もちろんアメリカでも大きな話題となった。当時、新日本プロレスの営業本部長だった新間は異種格闘技路線の継続と平行し、実は猪木のアメリカ映画界進出ももくろんでいた。

猪木vsアリ戦を手土産にアメリカに渡った新間は、映画会社20世紀フォックスのプロデューサーと出会う。これをきっけに、日本でも大ヒットした『がんばれ!ベアーズ』(76年)の第3弾『がんばれ!ベアーズ大旋風』(78年)への猪木出演が決定。第3作では、少年野球チーム、ベアーズが日本に遠征。猪木は本人役で起用された。ベアーズが野球の試合を前に、なぜかプロレス(異種格闘技戦)と遭遇するエピソードが盛り込まれているのだ。ハリウッド本格進出というわけにはいかなかったが、猪木vsアリ戦ありきで、このエピソードが加えられたことは間違いない。

アメリカ公開は78年6月30日。猪木vsアリ戦から2年後という素早さだ。日本では翌年3月17日に公開がスタートした。これはちょうど猪木vsミスターX戦のあとであり、公開開始から1カ月もしないうちにレフトフック・デイトンとの一戦もおこなわれている。猪木の異種格闘技路線は、もうしばらくつづいていく。『がんばれ!ベアーズ大旋風』は、異種格闘技戦時代を反映した作品でもあったのだ。

映画での猪木は「世界マーシャルアートチャンピオン」として紹介される。また、「世界でただひとりアリと引き分けた男」ともアナウンスされるのだ。対戦相手は、ミーン・ボーンズという空手チャンピオン。ところが試合当日の記者会見でボーンズがデモンストレーションに失敗し病院へ直行、試合ができなくなってしまう。全米での放送を企画していたテレビ局は大慌てだ。

これを見たベアーズのプロモーター兼(結果的に)監督のマービン(トニー・カーティス)は、そのへんの外国人をマスクマンに仕立てて試合に臨ませようと画策する。が、「無名のチンピラ」と闘わせられる羽目になった猪木は控え室で激高。ここで現われるのが明らかに新間をモデルとしたと思われるマネジャーだ。

マネジャーは「とにかく試合をしろってさ」と説得するが、猪木の怒りは収まらない。マービンが控え室にやってくると新間らしきマネジャーは「今夜の試合はアリとの再戦の足がかりです。へんな試合をしたら(再戦計画が)台無しです」と英語で訴える。荒れ狂う猪木はロッカーに貼られていたアリの写真に怒りの鉄随を振りかざすのである。

そして迎えた謎の相手との対戦。急なカード変更がたたり、会場はガラガラの閑古鳥だ。怒りが増幅する猪木のセコンドにはデモンストレーション時から帯同していた藤原喜明がつき、新間らしきマネジャーもエプロンに立った。猪木はマネジャーに「なんだ、この入りは? 全然客が入ってないじゃないか?」と営業本部長(?)のマネジャーにクレームをつける。マネジャーは“抑えて、抑えて”という身振りとともに「精一杯がんばったんだよ」…。猪木が「こんなとこでやったことないぞ、オレはいままで」と不満を漏らしているうちに試合がスタート。案の定、相手はなにもできない木偶の坊だった。それもそのはず、マスクマンの正体がマービンその人だったからだ。ところが、やられるマービンを助けようとベアーズの選手たちが乱入。ここに“プロレスvs少年野球の異種格闘球技戦ハンディキャップ過ぎるマッチ”がスタートするのである。

ちなみに、モチーフとなったであろう新間は「オレそんなことしたことないよ」と当時を振り返っているが、ここで描かれたマネジャーが海外から見た過激な仕掛け人のイメージなのだろう。まずまず理解はできるし、トンデモ描写でなくてよかったとも思う。また、今作ではボーンズのマネジャー役に猪木vsアリをジャッジしたひとりのジーン・ラーベル、スタントとしてヘクター・ゲレロが出演している。

ハッキリ言って、猪木のシーンは本編とはあまり関係ないエピソードである。しかもけっこうな尺をとっている。さらにこれ以外にも、あまり意味をなさないエピソードが羅列される。やはり、今作の評判は非常によろしくなかった。ある映画賞のワースト助演男優賞にもノミネートされた(わかる!)。エンディングでは次の遠征地が示唆されるようなセリフがあるものの、結果的にシリーズはこれにて打ち切りとなってしまう。やっぱりウォルター・マッソーのバターメーカー監督とテイタム・オニールの天才少女ピッチャー、アマンダがいなくては…というのは当時の映画ファンのつぶやきである。

 とはいえ、いまあらためて観てみると、70年代後半の日本の風景(とくに新宿! 歌舞伎町の新宿FACEの近く!)、テレビ番組(欽ちゃん司会の「オールスター家族対抗歌合戦」にジェリー藤尾チーム、若原一郎チームが出演!)、新幹線ひかり号、川崎球場が懐かしくもあり、日本が舞台であるのに異国に迷い込んだような感覚がおもいっきり楽しい。そういえば、来日したてのシーンである少年選手が言っていた。「異文化に親しまなきゃ!」よくも悪くも、和式トイレは絶滅の危機にある。

2016年に京王プラザホテルで開催された「モハメド・アリ回顧展」