神社OR祠?
四国に一風変わった神社があるということで、
S氏にご案内いただき、参拝させてもらうことにしました。
「階段が140段はあるんじゃ」
140段なんて、ひょいひょいっといけ・・・
(結構 急やないですか…)
しかも段幅が狭いし。
S氏は私よりもかなりのご年配でしたので、
途中休み、休みしながらゆっくりと登らせていただきました。
「これが、神社ですじゃ」
え?
祠?
S氏「いや神社ですじゃ。これに看板があります」
S氏のお話では、
現在“美馬市教育委員会”となっているが、
以前までは、“穴吹町教育委員会”名で看板が立てられてあり、
書かれている内容も違っていた という。
現在は大分簡略化されているらしい。
その看板写真があるということで、
S氏の御宅で見せていただきました。
知人に手紙でこの神社の写真を送って知らせておられるのだそうです。
まず史跡名からして変わっていました。
【前(穴吹町のころ)】 「古代祭祀遺跡磐境(いわさか)神明神社」
【今(美馬市)】 「神明神社」
おおきく変わった特徴としては、
「祠(ほこら)」として現在の看板には幾度も表記されています。
しかし、前(穴吹町)の看板では、祠という表現も字も一切みあたらず、
古代神霊が降臨する「社」(やしろ)として書かれています。
さらに祭神も、「国常立神(くにとこたちのかみ)他四神」が祀られていたとあります。
そうして、豊作を願い、収穫をことほぎ祀られてきたと。
さらに、石が積み上げられて、壁になっていることについても、
「この地に石を積んで聖域とし、“磐境”(いわさか)と呼んで神聖視するようになった」
と示し、古事記・日本書紀に登場する“磐境”ではないかという推定までありました。
現在の看板は、祭神名はもちろん、石積みの説明もなく、
あるのは“異形の祠”、“特殊な形態の祠”、“貴重な祠”という解釈と、
広さ、大雑把な由来…ていど…
こうしてみると、上記の(現在の)看板は民俗学的にも興味があまりひかれないのは、
わたしの読みがたりないのでしょうか…?
ちなみにS氏によると、
この看板に変わったのはごく最近(ここ半年程度)のことだそうです。
あまり重要視しなくなったのか、
史実的確証が見当たらなかったからなのか、
それとも反対に、
世間からの関心をそらすことで、
文化財保存に努めようとしているのか…
………
……
…
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ま ・ どおでも いいっか♪
上を仰ぐと、高い高い木々に覆われ、不思議な、どこか神妙な空気感が漂います
またお参りにこさせていただきましょっと