フローレス島のオレンジ | ロングテールの先っぽで

フローレス島のオレンジ


思い出した昔の話をします。


小学生の頃、フローレス島で働く日本人シスター
中野さんという方が、当時僕がいたジャカルタ日本人小学校へ
講演をしに来てくれました。

それは、僕ら日本人が豊かである事を痛烈に再認識させられる
衝撃的な内容でした。


フローレス島はインドネシアの中でも特に貧しい。


シスター中野さんは僕らと同じ年齢の子が
どのように生活しているかを話してくれました。



ある子が、大きな怪我を負いました。
縫わなければいけない程の大きな傷でした。

しかし島には麻酔がありません。

医者の人はある車のおもちゃを用意してこう言ったそうです。

『縫い終わるまで我慢ができたらこのおもちゃをあげるからね』

その子は、麻酔無しで傷口を縫ったそうです。
ただおもちゃが欲しい一心で、最後まで我慢しました。



そんな話を僕らが聞いた数週間後だったと思います。
フローレス島で大地震が起きました。
世界各国が多大な援助を送りました。

僕らジャカルタ日本人学校の生徒も、
どうしても人ごとでは済ませず、
全校生徒で募金を募りフローレス島へ送りました。

確か67万RP(=当時レートで日本円で約60,000円程)だったと思います。


シスターは本当に心からとても喜んでいました。

援助の多くは被災地の現場に還元される事が無く
有用な援助にはならなかったと。
だから僕らの67万ルピアは本当に嬉しかったと。


その数ヶ月後、フローレス島から
お礼を言いに、シスターが再び日本人学校にやって来ました。
そして1枚の絨毯が学校へ寄贈されました。

その絨毯には所々、目にも鮮やかなオレンジ色の刺繍がしてありました。


島のみんなが、どうしても感謝の気持ちを送りたい。
そこでオレンジの染料の原料となる花を植える所から
始めたそうです。

1枚の絨毯ですが、
たった1色のオレンジ色でしたが
そこには、計り知れない島の人たちの気持ちがありました。



人が人へ気持ちを伝えるのは難しい。

ただ一つだけ思うのは
感謝であれ、尊敬であれ、謝罪であれ、慕いであれ、
想いは、かく誠実であるべきだと

そのように思います。