体が思うように動く


頭に次にやる事が浮かんでくる


そのような状態を


私は絶好調と言うのだと思う



ユーツーです



今日の私は…


あまり調子がよろしくない


昨日、風邪で苦しんだからだろうか






今日はプレゼンの練習がありました


○○VS××のチームに分かれてディベート


私はチーム内でプレゼン担当となり


発表用の資料をまとめていました


パワーポイントで視覚に訴えかける形にしようと思ったのですが


5分間の発表予定に対し


作成時間は40分ほど


発表内容が固まっていてリストが出来上がっていれば


楽勝だったのですが


まとまっているものは何も無く


情報を集める所からのスタートでした


私の頭の中では


情報を集めてもらう

情報の要約

パワーポイントに入力

スピーチ用の資料を作る

時間が余ったらパワーポイントの飾りつけ


の予定でしたが


時間が足りず


パワーポイントの資料は予定の半分のページしか出来ず

情報の要約も足りない


正直焦りました


後で職員さんに聞くと焦ることが大事らしいです


結局発表時間5分のうち


3分程は箇条書きにしたリストを読み上げ


文章にしていない部分はアドリブと前知識で乗り切りました



冷や汗モノです


良い経験だったとは思いますが


ある程度完成形に近い形で発表したかったなと悔いが残りました




ディベートですが


チーム内にいる方が結構喋ってくれたので


助かりました


プレゼンで私のライフは0だったので…(´・ω・`)



プレゼンは難しいですね

自分が生まれたのはいつなんだろう



数字としては19××年×月××日とか


記録はあるんですが



本当にそうなのだろうか?



世界五分前仮説というものがある






世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した、という仮説に論理的不可能性はまったくない。異なる時間に生じた出来事間には、いかなる論理的必然的な結びつきもない。それゆえ、いま起こりつつあることや未来に起こるであろうことが、世界は五分前に始まったという仮説を反駁することはまったくできない。したがって、過去の知識と呼ばれている出来事は過去とは論理的に独立である。そうした知識は、たとえ過去が存在しなかったとしても、理論的にはいまこうであるのと同じであるような現在の内容へと完全に分析可能なのである wikiより


パソコンに向かっている私は


そのように作られた過去の記憶を持ちながら


5分前に突然生まれた



それが事実である証明も事実ではない証明もできない




1時間


2時間


3時間


時が経つのは早い


時の速さは去年の今頃に一番良く感じた


その時私は首に縄を掛けていた


何故首に縄を掛けたのか


それは


一番楽に死ねる方法だからである


自分の頭の中の自分が「死ね」と言ってくるのだ


「死ね」と頭の中の自分に言われ続けると


それ以外の考えをすることが出来なくなる


しかも死ぬことへの感情はネガティブなものではなく


ポジティブに捉えてします


生きてこれ以上悩んでしまう事よりも


一瞬の苦しみはあるかもしれないが


それ以上苦しまなくても良いと思うようになる



じゃあ…死のうか


首に縄を掛ける


縄の角度は何度もシュミレーションした


失神さえしてしまえばコッチのもの



体重を掛けると


縄が首に食い込んだ



タオルをあてがっているので


擦れたりしたときの痛みは少ない


徐々に体の末端から感覚が薄くなり


力が入らなくなる


悲しいとか苦しいという感情は無い


ただ


消えることへの幸福感に包まれる


ここまでしておいて


いま何故私が生きているのか



何度も首吊りを失敗した


非定型の首吊りばかり試していたが


定型のを試した時に足がどうしてもでないので


定型は辞めた


心が死にたいと思っていても


体が自然に拒否するのであろうと思う



生きていて苦しいですよ


病院へ行って色々な心理教育受けたって


苦しいんです


だって


何も解決していないんです


自分が鬱になったことについて


一生欝で生まれた負の感情を持って生きなければいけない



先生は負の感情をもって何故いけないんですか?


というが


それは実際にその感情に支配され


殺意・憎しみを感情のままに実行しようとしたことの無い人間の言葉は


はっきりいって


響かない