C-PTSD(複雑性トラウマ)は関係性の病だともいう

 

友人であれ、恋愛であれ、普通に考えればよくあることでも
私の場合、時に鬱症状や希死念慮のきっかけとなる


人を待つことは私にとって大きなトリガーの一つ

「待ち合わせ恐怖」とでもいったらいいのか?

今回は先日、「待ち合わせ恐怖」と闘ったときの事を記録

 

メモ  メモ  メモ

 

定刻通りに待ち合わせ場所に私は着く

友人はまだ来ていない

 

「今着いた」のメッセージを送って10分後

友人から「あと5分で着く」との返信

それから15分後「場所が見つからない」とメッセージ

私はこの間、自分の中に不安が広がっていくのを感じながら待っている


友人はわざと遅れているんじゃないか?

本当は何か理由があって来たくないんじゃないか?
私が待つことに苦痛を感じることを知っていて、苦しめようとしているのではないか?

 

そんなはずはない、友人はそんな人じゃない、信じるんだ

心の中に色々な感情が渦巻いてくる

 

でも、このまま長時間待ち続けることは

私の心を蝕んでしまうのは経験でわかっている
 

立ち去るべきだ
いや

信じて待つべきだ
 

早く立ち去らないと、あの嫌な感情に呑み込まれる


私はすでに注文してしまった飲み物を飲み終わるまでと決めて待った

 

友人は40分ほど遅れてやってきた

私は友人の姿が見えたとたんに抱きついて、泣いてしまった

 

友人は私の反応に少し驚いて心配してくれた

そして、地図が間違っていたことを示して

私を安心させてくれた

 


メモ  メモ  メモ

 

私は誰かを信じたり、愛そうとするときに

同時にその人が私を傷つける人だと思っている、決めてかかってる

だからいつも私は緊張し、相手を見極めようとする

 

少しでも相手が自分を大切にしない

その兆候を示したとき(時には妄想に近い)

私は相手を自分を傷つけるもの=敵と認識する

見事な白黒思考

 

そうなると私はその人と一緒にはいられない
恐怖でいっぱいになってしまう


偏桃体が

いやだ、いやだ
逃げなくちゃ、逃げなくちゃと叫んで全身に指示を送る


理性はそれまでの付き合いを思い出せ

相手は敵じゃない

信頼し続けろという

 

 

以前から私は人を待つことがすごく苦しくて

それが原因で人との関係を切ってしまうこともあった

 

私はその苦しさを父を突然失ったせいだと思ってきた

相手が待ち合わせに現れない時

病気で誰にも知れず苦しんでいるんじゃないか?

そんなことが心配でたまらなくなるのだと

 

でもそれだけではないことに気が付いた

 

自分がいかに根拠のない不安とそれがもたらす恐怖に

支配されがちなのか、今回よくわかった